「ない仕事」の作り方 みうらじゅん著 6/7

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「ない仕事」とは何か?

普通の仕事とみうらじゅんさんの「ない仕事」は同じなのでしょうか?

みうらじゅんの「ない仕事」は 、そうした小説家や画家や音楽家のしている仕事とは一線を画す仕事です。

命名されていない仕事だからです。職業として認知されていない、誰もすくい上げていないピースをより集めて、カタチにし、呼びようのない何かを、命名して新規の存在として位置付ける。

地方の町おこしのプロジェクトで生まれた事業と言ったものとも質が明らかに違う。役立てる意図も、市場調査もせずに、ただやりたいから始めているからです。

どちらかというと、ソレは遊び。

「ない仕事」 とは、遊びでなければならない。「遊び」とはふざけたことではなく、別な何かを目的化していないということです。

遊んでいること自体が目的。ソレが遊びです。

ネーミングは端的でどこか和む

みうらじゅんさんは、言葉の名手。その言葉には丸みがあってツンツン本質を突いている。たとえば、「いやげ物」と「地獄表」。

いやげ物というのは、観光名所のお土産店に置いてある、もらっても全くうれしくないようなものたちのネーミング。

もらってうれしくないようなものがなぜ売れるのか?

自分がもらったらうれしいハズという購買欲ではない、別な衝動で買っているのだと思います。

衝動は3つ。御当地特産品で珍しい。会社に持参して受けをねらい話題作りしたい。イヤなものを人に与えたい。もう1つあげると、ただ単に、商品を見る目がない。

みうらじゅんさんのネーミングで考えると、「イヤなものを与えたい」ものとして生産されたものが「いやげ物」なのでしょうね。

イヤだなそれがお土産?

もらってもうれしくないお土産を、「ソレいりません!」と言える人って6%程度しかいないので、94%はイヤがらせることに成功できるという計算になります。

自分は欲しくはないけれど、買いたい購買心理って何なんでしょうね。

私はあまりドンキホーテにはいかないけれど、商品のテーマパークというコンセプト。迷路のような売り場を徘徊する楽しさってドン・キホーテにしかない気がします。

「いやげ物」って計算されて作られた商品でなくって、どちらかというと、「作ってみたから置いてみて」という軽いのりで陳列してみたのが始まりのような気がします。

そしたら、案外売れる。

物が売れない時代とかって言われているのに、イヤなものが売れるということとそのイヤなものを生産する、仕入れるって、見ようによっては商売の奥深さを私は感じます。(つづきます)

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