「ない仕事」の作り方 みうらじゅん著 7/7(完結編)

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逆境を面白がる

「地獄表」というのは時刻表です。バスの時刻表です。田舎のバスの時刻表です。なんとなくおサッシ頂けましたか?

普通でいると、意気消沈し不運に絶望する最悪の事態。そんなときにもチャンスが転がっている。

みうらじゅんさんは、山形の湯殿山で目的地の手前で誤ってバスを降りてしまった。間違いに気づいて、「次のバスに乗ればいいっか。」とバスの時刻表を見て、失敗の大きさに気づきます。

そのバスは90分に1本のバスしか走らないローカルバス。あたり一面は人もいない何もないバス停。

みうらじゅん:「私はその時刻表を写真に収めました。”こんなに来ないバスってなんだよ!”というマイナスの気持ち、憤り。そして、”こんなに”待たされて地獄だな”と思ったときにひらめきました。

この地獄のような時刻表を”地獄表”と呼んだら見方が変わるのではないか?マイナスのものを、名前をつけて面白がってみると、自分の気持ちすら変わってプラスになる。

それ以降、私は田舎町にゆくたびに、”地獄表”を探し、写真の収めるようになりました。」

本当にある地獄に私は行きたくはありません。でも、この世にも地獄のような場面に出くわすことがありました。

そんな地獄でも笑う。ということを何かの本で読みました。天国のようなところに居続けるよりも、地獄にいながらも笑っていることのほうが高尚でありレベルが高い、そんなフーに思ったことがあります。

趣味は突き詰める

「趣味は突き詰める」という本書のみうらじゅんの言葉がわたくしに刺さりました。中途半端ではいけないヨ!とみうらじゅんさんから説教を受けた心持。教祖から啓示を受けた気分。

やり尽くすからエネルギーが溜まり、そのエネルギーで人を動かすことはできる。バルーンも中途半端にヘリウムを入れても空高く上がりません。

大きなバルーンに精一杯のヘリウムを充填するから高く舞い上がる、するとちっぽけでも少し目立つ、面白いエッセンスがあると人を楽しませることもできる。

みうらじゅん:「対象そのものが好きだからぐらいでは困るのです。サッカーのチームが好きが、アイドルグループが好きだ、将棋が好きだ・・・すべて”そのまま”では何も生む出すことはできません。」

誰もゾッコンでないものを好きになる

マンダムのCMを覚えていますか?

チャールズ・ブロンソンさんによる日本のCM。子供の頃にひげが無いけれど「マ~~ンダム」と顎をつまみなでるようなマネごとを友達とし合ったことがあります。

映画「大脱走」にもチャールズ・ブロンソンさんは出演され、刑務所から敷地外へトンネルをがむしゃらに掘り進む男臭さを思い出します。

チャールズ・ブロンソンにはまったみうらじゅんさんは田口トモロヲさんとブロンソンズというコンビを結成します。好きだったら何かを立ち上げよ!同士でコンビを作って命名せよ!というのです。

表舞台に登場していたチャールズ・ブロンソンをずっとおっかけ、B映画に主演している。その映画をすべて集め見る。

みうらじゅん:「私とトモロヲさんはその頃、ずっとブロンソンのことばかりを考えていました。」

みうらじゅんさんと田口トモロヲさんはラジオ番組のコーナーで人生相談を始めます。自分がチャールズ・ブロンソンになったようにして、相談者に男気たっぷりに答える。

仕事に好きをふりかけてみる

その人生相談コーナーは今までにない人生相談だったので大人気に。そして内容をまとめて、「ブロンソンならこう言うね」という単行本となったのです。

「スーパーマグナム」というアルバム制作では、スチャダラパーや東京スカパラダイスオーケストラとのコラボすることになります。

チャールズ・ブロンソンは、2003年82歳で亡くなっています。するとブロンソンズは「ブロン葬」というお別れイベントまでしてしまう。

「スーパーマグナム」は映画監督のクエンティン・タランティーノさんが来日したときCD店で見つけて買われたもの。1枚は自分用でもう1枚はチャールズ・ブロンソンさんの娘さんに購入したのだという。

何か異常な盛り上がり感。

突き詰めるとは本気の熱愛

みうらじゅんさんは、一度好きになるとモードが変わる。ブロンソンズについて思う事は、チャールズ・ブロンソン祭り開催中。という感じがしてきます。

いつでも、チャールズ・ブロンソンさんの事ばかり考えているって、異性を恋して恋して眠れない状態と違いませんでしょう?

熱愛。

「これが、突き詰めるです。」とみうらじゅんさん。なぜ好きなのか?そこをどんどん狭めて考えていったときに、誰も手をつけていない「ジャンル」が浮かび上がってくるのです。

男性が女性に熱愛する時って、「あの子のどこが好きなんだろう?」とかって考えません。少なくとも私は。

理由とは愛する原因とかって考えない。「だって、好きなんだもん~~」という感じ。

「ない仕事」を作るためには、異性への熱愛と同じエネルギーでありながら、夾雑物を取り除き、クリアに核に迫る研究心は欠かせない、ということなのでしょう。

大儲けできるのにしない

みうらじゅんさんの怒った顔をみたことがありません。大きな声で自説を論する場面でも怒りを発動としてはいない。

街中で怒っていそうなヤバイ風貌でありながら、語り口は穏やかなでやさしい。ギャップ。

みうらじゅんさんのアイデアなり創作活動というのは、独特でありたぐいまれなセンスがある。商売として売り上げベースで事業展開していると、億万長者になっただろうとわたくしは思いました。

拝金主義の資本主義の新自由主義の日本になって、思考回路を変えていればお金儲けできたひと、それが、みうらじゅんさんです。ライセンス契約しているのかいないのか知らないけれど、ソーユーものには手を染めない。

「・・・欲はなく、決して怒らず・・・」雨にも負けずという詩。どことなく宮沢賢治さんにみうらじゅんさんは似ている。宮沢賢治さんは魚の養殖というものを研究されて食料について興味のあった方。

衣食住が満たされた現代の日本で枯渇している部分や、もっと豊かに心を満たすための、内面の飢えを満たすべく、みうらじゅんさんは働かれてこられたように私はお見受けしました。会ったことないけどネ。

お金は後からついてくる

みうらじゅんさんは戦略家ではありません。どちらかの言うと、教祖に対して失礼を承知でいうと、無鉄砲。数打ちゃ当たるだろというタイプ。

でも生活がかかっているから、むやみやたらではありません。隙間産業の隙間を情報収集してしっかりと研究されている。

「いやげ物」についても、全国の土産店に出向いてシコタマ集めます。好きでもない、むしろイヤなものを集めるってヘンテコ。

でも、哲学的に考えてみると、価値観、世界観を変えて見せるねらいはある。失われた10年とか20年、30年とも言われる令和時代に、みうらじゅんさんは、拾いに拾ってきた。

何も手のついていない無価値なものを価値あるもの、面白いものですよ!と提案してきた。閉そくする先の見えない時代にあって、暗闇の道中、横からさっと提灯をぶらさげているみうらじゅんがいる。

一瞬、ギョっとする出で立ち。しかし、表情はおだやかで目が笑ている。暗闇道中の先をお急ぎでしょうが、「私の話を少し聞いてゆかれませんか?」。

旅人は立ち止まって、店に入る、ちょっと一杯のお茶を差し出す。稀で粋な人、それが、みうらじゅんなのです。

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