「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である 名越康文著

読書とその周辺

人間というのは本来、どう生きたってかまわない

名越康文さんはテーラワーダ仏教で瞑想を続けていた時期があり、今は、別の宗派で修行をされているようです。

もちろん、本業は精神科医。ご家族のいらっしゃる。テレビでたまにお見掛けすることがあります。今日はSNSの復旧によって、表面的なつながりが強固な反面、人々は孤独でもあります。

知られたくないことを知られたり、知りたくはないことを知ったり。

通信では知ることができなかった時代、人が人と会ってやっとたどり着けた知は、今では世界中どこにでも駆け巡る、一見では。

適用障害と過剰適応。

今の人は、普通に過剰適応させられている。何気ない言葉で人を傷つける。反応への反応と対処までもが見張られている。

そんな生きづらい世の中で、傷ついた人に向けて、名越康文さんは、「期待に応えられなくとも良い。あなたは生きていていい。」というのです。

人生には、論理知識経験では太刀打ちできないことが起こる

名越康文さんの説では、人生の30%は、予測不能で太刀打ちができないことが起きる、といいます。人生には好不調はあって、ついてる時と不運になる時がある。

能動的に何かをすると失敗のダメージが大きい。なので、何もしないホーを選びます。事業を起こすより雇われる方がダメージが少ない。

大きな母艦やタンカーや客船に乗るほうが、小さなヨットを自分で操縦するより楽だし快適。ヨットは沈没したりするリスクがあるけれど、大きな船であれば、左うちわで映画鑑賞して過ごすこともできる。

名越康文さん
名越康文さん

人生を充実させるには、

私たちは、自分から最も遠くの何かに

一瞬で良いからタッチしておく必要があります。

名越康文さんはその何かを瞑想によって知り、近づくことができると言います。大きな客船で安心して計画的に船旅をしていても、何かが起こる。

そこで、転ばぬ杖として何かにタッチしておくのです。

日本人は理由なく怒っている人に弱腰

日本人は自分が怒ることを非常に見張りながら生きている、心優しい国民性があると私は感じます。おだやかで優しい人を評価するところがある。

そこに、自分の意見を強く持ち、すこし語気が強い人が現れると、「頼もしい」と思ってしまう。

なぜなのか?

表面的には、心優しい空気の日本。

名越康文さんは、そんな日本社会は、怒りに対するハードルが低い、と言います。日本人は「怒り」にまみれやすい環境で生きている。

なので、日本人は、冷静で理知的なリーダーより、怒ったり感情的な政治家や有名人に説得力を感じてしまう。

正しいことを言う人よりも、声の大きな人になびいてしまう。コーした日本人の心理を利用して、あえて大きな声や怒りをもって引きつける輩が確かにいますね。

遊びに没頭すると人の才能は開花する

「遊び」というのは、他人の評価を気にせず、かりたいことをすること。世界的な画家、横尾忠則さんはご自分の画業を遊びと言っていました。

名越康文さんは、「誰でもが、持って生まれた才能がある。しかし、才能を開花させるその日までは、群れの中で生き延びておく必要がある。」と言います。

精神科医の名越康文さんの言葉には重みがあります。才能があるのに、生き延びなかった人々が身近にいらしたからなのだと私は感じました。

シニアになれば、すでに生き延びたしその術もわかっているのだと思います。ならば、ただ黙々と自分の世界に没頭することはできる。

本気でのめりこめるものだったら、なんでも構わない。と名越康文さんはおっしゃります。

コメント

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました