あべこべだとわかる

ヴィパッサナー

スマナサーラ長老のyoutubeや著書やテーラワーダ仏教協会の会報を日常的に読んで、マイペースで瞑想していると、世の中の様々なことがアテにならないと思う事が増えました。

衝撃的で、こんな解釈が正しいのか?

と思ったのは、ある医師で海外の中東方面で医療活動をされ、2019年に銃撃を受け亡くなった方の事。その方の人生に対する解釈。カルマによって危険な地域に身を晒し殺されるようにして亡くなったというのです。

俗世間での評価や功績などとは全く違う解釈をされ、決して人として良しとはしない立場があること。世の中の人々の理解が決して及ばないところに真実があることに私は驚嘆しました。

フェイスブック創設者の彼が成功したのは、単に「業による」、ときっぱり。人間の良し悪しとは無関係に業は作用する。

世の成功者を持ち上げてもてはやす世の中にあって、過去世までの業による、だけの成功。とは何たることか、と思うと同時に、真実といったものを全くわかっていない自分を発見した思いでした。

このような例で、納得し理解できる人はいないと思います。私もソーです。ただただ、嘘偽りを決して言われない方だから、私は「そうなのか!」と思って受け止めているだけです。

私の解釈、理解についての変化もあります。

私の今勤務している会社での上司の態度にこれまで違和感を感ずることがありました。けれど、ソレがどのようなものなのかわかりませんでした。

けれど、最近わかった。脅しだと。

威圧する言葉の強さ、重さが実は、その上司の上司から受けた脅しに基づく部下への脅しの感情で発せられていることに気づきました。

だからといって、何もありません。今まで通りです対応は。感情としては「可哀想」といった感じです。わたくしは乗っかりません。

わかると客観的に観察できます。だいぶラクになりました。

youtube配信で、スマナサーラ長老へ面白い質問者がいて、長老の回答が為になりました。

質問:「死ぬ際では、慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想では、どちらをした方が良いでしょうか?」

スマナサーラ長老:「慈悲の瞑想をすると梵天に行ける可能性が高まります。ヴィパッサナー瞑想をしていると、今生で悟れなくとも死の中で死ぬ流れの中で悟れる場合があるので、ヴィパッサナー瞑想をした方が良いです。」

死んでいる流れで悟ることがある、というのは発見でしたしわたくし自身の認識として革命的でした。

今渦中の紛争はコーです。私の感じ方です。

静観がベストだと感じます。どちらが味方で応援すべき側で、反対側に反対する、という思いのベクトルの浅はかさ。原因と結論に至る道筋は事実のデータをどの程度分析してみせたのか、良くわかりません。

浅い。薄い。のに、断固といった強さを表している見せている。

「わたくしが嫌いな生命が幸せでありますように」、「私を嫌っている生命が幸せでありますように」と慈悲の瞑想を日課で唱えていると、敵として憎むような仕向ける情報には乗っかれません。

「反対!反対!」というのも怒りの衝動では自己破壊になるように感じます。なので、静観以外に無いのです。

核全面戦争となったら、なるようになって、野垂れ死ぬこともありうる、と思っています。ただ、それだけです。自分の管理外のことで悩んでも無意味ですしね。

粛々と瞑想をできる間はするつもり、な、だけです。

自己観察する集中力がすこし高まると、すこし他人の心がわかるようになる。

なぜそうなるのか?ということは人間には分析不能だからムダなのだとスマナサーラ長老は著書でおっしゃっていました。

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