ゆったりと生きる

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3月16日の夜中の地震で、朝まで寝付けなかったという職場の同僚がいました。私は、夜は22時くらいには床に就くので、ベッドで地震を感じていました。

かなり長く、寝ていると接点が広いので全身で揺れを感じ、「家が壊れるかな?」と思いつつ、じっと納まるのを待っていました。

何時ごろの地震かもわからぬまま、そこから寝入って朝。

コロナ、戦争、地震。円安不況。

色々と重なると不安感が重なって、臆病になる人もいるようです。

まず、腹をくくっておくのが良いと思います。

シングルのシニアがたとえば、突然の病で倒れたら、一人者なのでかなり致命的ですけれど、なるようにしかなりません。

ご近所に助けを呼ぶ、救急の電話する、家族にも電話する。

後は、意識が無くなったら、周りの人にすべてを委ねる以外にありません。死んだらそこでおしまい、ってうことで良いんではないでしょうか?

脳梗塞や脳溢血で救急搬送されて一命はとりとめた。意識はある。ならば、民生委員がいるし、声が出せてしゃべれるんであれば、役所の職員に電話してなにがしかの手続きをする。

命は助かったが、麻痺で生活ができないししゃべれない、となれば、周りの人の善意に身を委ねるしかない。なるようになる。

誰も助けてくれないのであれば、万事休す、で孤独に餓死で、良いではないでしょうか?

だって、仕方がないじゃない?

老後のある時点で老後資金が無くなったらば、その時にできることをする以外にない。財産をすべて手放して、住めて食べて生きられるような地方のぼろ家に引っ越したってかまわない。と決めておく。

たとえば、思考だけはできるけれど、全身がマヒして寝たきりになったとします。そんな時でも、慈しみの瞑想はできるし、呼吸を観察するヴィパッサナー瞑想はできるかもしれません。

そうなったらソーすると決めておく。

植物人間のようにして脳死していたら、もう自分の管理以外だし、寿命がくれば死ぬのであって、逆にラクだとも思います。

年金制度による年金支給金額では今のままの生活ができない、という物価高になったら。家賃のいらない家を探す、または格安の場所に移動してひっそり生きていれば良い。生きられなければ死ねば良し。

日本が他国に攻められたとします。出来るだけ安全な場所に避難する。足腰が立たないのであれば、今の住み家でじっとしとく。

銃を持った敵が自宅に入ってきたとします。そうしたら、その人めがけて慈しみの瞑想をする、と決めておく。

こうしたことを決めて置き、あらかじめ覚悟しておく。

そこから、何かの目標であったり、備えのようなことをしてゆく。たとえば、ドル建てで支払いのあるamazonやgoogleの広告収入を得るためにサイトを立ち上げたり・・・。

すると、その何かの目標どおりうまくいかなくっても、備えが十分整わなくとも、最悪の自体を少し回避しながら、諦めることは諦めて、できることをしてゆける、落ち着いてゆったりと。

賢く回避はします、たとえばコロナのこと。1つ1つ、しっかりと正しい情報を取りに行って、学んで、対策する。

1日1日できることはしておく。積み上げる。将来のために今日したいことをマイペースで怠らずにする。

でも、将来のことは正覚者でもわからないんですから、凡人のわたくしは尚更わかるわけがありません。

心配したり不安になる必要ってどこにあるんでしょうか?

なるようになる。それだけです。

ゆったりと、でもしっかりと、ちゃんと生きる。

でいいんではないでしょうか?

初期仏教に今生で出会えた、慈悲の瞑想も今日までできた、ヴィパッサナー瞑想もしてきた。正覚者にもお会いできた。ご法話が聞けた。それだけでも十分だったと思うのです。

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