「ガス抜き」というのは、不平不満のガスで充満した風船から、その不平不満のガスを少しだけ抜いて人々のストレスを発散させる、という意味です。
演芸や小説や娯楽や芸術といったものは、現実の不平不満をやり過ごすための装置として機能する場合があります。
昨日取り扱わせて頂いた落語も閉塞感のなる江戸時代の身分社会にあって、地位の高くはない庶民が聞く事で「ガス抜き」=現実の不平不満をやり過ごすための装置として機能していたのでしょう。
作り手側は、ソレが仕事であり人生になるので、創作には骨が折れた。
「ガス抜き」需要は昔も今でも豊富にあるんで商売にはなります。
毎月お気に入りのアーティストのコンサートに行くという人がいる。仕事を終えたらマンガが読みたい人。通勤途中でゲームをするひとが現代では多いでしょうか?
趣味というと、すきなことなので、必ずしも「現実の不平不満をやり過ごすため」にしているのではなかもしれませんね。
ココで考えたいことは「趣味」ではなくって「ガス抜き」です。
コレを語ると一気にブログの人気が無くなるよな? と思っているんですけれど、書きたいんです。
どなたも指摘していないから。もしかすると指摘している人はいるけれど、探し切れていないだけなんでしょう。
わたくしは食品添加物にはすこし詳しいです。どんなものにどのような保存料が使われているか? 世界標準で禁止されている添加物と日本で承認されている添加物について調べていた時期があります。
ココでお話しするのは食品添加物ではありません。
異物。食品の製造過程で混入した異物。
この食品に異物が混入している。
コーした体験がありますか?
こんなことは子供の頃には普通にありました。たとえば、米の中に小さい石のようなものは入っていた。昭和40年代後半では当たり前でニュースになんかならない。
注意して石を食べなければイイだけです。2022年に同じことが起こるとたぶん大変なことになるんでしょうかね。
食品の異物混入はあってはいけないけれど、ニュースとして取り扱われることが多い。これまでは、普通に「ひどい工場があったもんだな、怖い怖い・・・」とわたくしも感じてきました。
人による検品から機械による検品に変ったために、逆にエラーが多発しているのか? 海外で生産していることで何か問題が発生しているのか?
わからない。
生産管理に問題があるのであれば、しっかり原因を究明して改善してほしいとおもう。けれど、「ガス抜き」=現実の不平不満をやり過ごすための装置として機能してはいないだろうか?
とも思うように変わりました。
被害者=消費者側がヒステリックになり過ぎていないか?
SNSが、現実の不平不満をやり過ごすための装置として機能してはいないだろうか?
ホントの不平不満の原因は別なところにしっかりあるのだけれども。
マスメディアが、「ガス抜き」のネタにしているかもしれません。不平不満のガスで充満した風船から、その不平不満のガスを少しだけ抜いて人々のストレスを発散させるために利用していないか?
消費者庁は賢く使うのが良いと思います。
真っ当な指摘はあって良い。
でも、ちっぽけなミスに消費者側がヒステリックになり過ぎてしまうと、生きづらい世の中にもなる。
ミスの程度の階層化、分類がないからコーなる。
もしもたった1回の小さなミスで、実害もないのに、その工場で生産販売した全てを回収していることがあるとすると、かなりおかしいと私はおもいます。
マスゲームでたった1回、ひとりが間違えるたことで、そのチーム全体が0点になる、って酷すぎませんか?
不平不満のガスで充満した風船から、その不平不満のガスを少しだけ抜いて人々のストレスを発散させるために利用していないか?
そんなにお互いを監視し合ってドーなるんでしょうか?
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