コロナ感染対策で面会できなかった母が救急搬送され入院。退院で介護タクシーに付き添った。母と久しぶりの会話。③

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2022年11月10日、急性肺炎で救急搬送された母はさいたま市民病院に入院しました。経過は良好で11月26日(土) 10時に退院しました。

(なんということもない母と次男の2022年コロナ渦でのひと時です。おもえばこの10年間を母を中心に寄り添い、生活を変えながら生きてきました。自宅介護されているかたがたの方が濃密で大変で葛藤もおありでしょう。最大限とはおもいませんが、出来る限りをしてきたしこれからも・・・関連する記事が2回あります。過去記事を読まれると話しがつながります。

コロナ感染対策で面会できなかった母が救急搬送され入院。退院で介護タクシーに付き添った。母と久しぶりの会話。

コロナ感染対策で面会できなかった母が救急搬送され入院。退院で介護タクシーに付き添った。母と久しぶりの会話。②

急性肺炎で救急搬送された病院で担当医から「明日病状が急変する場合もある・・」と遠慮のない今後の可能性について真摯に説明いただき納得。

遅れて登場した介護タクシーの運転手さんを「・・さんの介護タクシーの運転手さん」と母の名前で看護士から呼ばれているのが聞こえた。近寄り挨拶。

ミエル:「・・・の次男です。看護師さんから聞いているでしょうか?母は大腿骨の骨粗鬆症で車いすでの乗車ができません。ストレッチャーでお願いします。」

非常に表情のおだやかな福祉の人という感じの運転手さん。顔が日に焼けている。

介護タクシーの運転手:「そうですか、老人ホームではベッドまでこのストレッチャーで移動することになると思います。リクライニングの椅子に移動して・・・」

まもなくしてベッドに寝ている母を両脇で看護士が押しながら登場。顔が腫れている。眼が細い。母の左手はストレッチャーの手すりを握っている。

先ほど背の高い看護士に手渡したよそ行きのオシャレなジャケットを着ていた。

左手首から腕下が紫色をしていた。拘束された跡だろう。(入院手続きで、治療の妨げになる場合の「拘束」の同意書にサインをしていたので驚かないが「こうなったのか、痛そうだな」と思いました)

ミエル:「息子です! わかんないか?」

母:「だれ?」 わかったようなわからないような感じ。特に看護士からの説明はなし。病状などは医師が説明し安易に看護士は話せない。

ストレッチャー用のエレベーターまで案内されて1階へ。運転手は車の用意をすると言って、母のベッドを玄関の横に停車して外に出た。母に近寄る。

母:「死ぬの?」

痴呆症が進んでいる中で、私が家族だったことはわかっている様子。「死ぬわけないじゃない!」と大きく励ますようなことは、ドラマのようなことはできない性格。何と返答したか思い出せない。

ミエル:「身体で痛い所あるの?」

母は首を横に振った。手首も痛くはないのだろうか?

ミエル:「元気そうだよ。病院の看護師さんに聞いたら食事を良く食べていたって聞いてる・・」

母:「え? まずかった・・・」

会話が成立していることに一安心。老人ホームで救急搬送される前、介護スタッフからは食事を2割程度しか食べられないと聞いていたが、病院の看護師からは平らげていると聞いていた。

ほどなくして運転手が戻りストレッチャーを移動し、タクシーの中に母を収めた。母の頭が前、母の腰下の横の補助いすに座る。

母の右手に手のひらを乗せていた。

ミエル:「痛いところはない?」「寒くないですか?」

母はしっかりと首を横に振って答えた。血色は悪くない。髪にも元気がある。整髪されている。母は大腿骨を骨粗鬆症で骨折を繰り返してきた。道路の小さな段差が体にひびいて痛むことがある。

車を走らせて、車線を変更したり曲がる時、痛いような顔をしていた。声は出さない。しばらくすると膝をゆっくりとゆっくりと上に立てた。

膝を立ててからは痛い顔が無くなった。自分に合った体勢を探し見つけ試し成功してみせた。わたくしは久しく車の運転をしていません。

なので、なつかしい。よく運転していた大宮周辺の大宮バイパス。公道からの眺め。母は車の天井が見えているだけなので、「家を買いに不動産屋の車で初めて通った道を今は走っています!」などと説明した。

ミエル:「俺も兄貴も、兄貴の嫁さんも子供二人の孫も、ひ孫も、大丈夫だから安心して!!」と大きな声で母に伝えた。母はわかったとしっかり頷いた。

ミエル:「公園に散歩に行ったときに一緒に食べたまるひろのお寿司をこの間ホームに持って行ったの覚えてる?」

ミエル:「ホームのスタッフからは”差し入れしないでくれ!”って言われた。けれど、どうしても一緒に食べたまるひろのお寿司をあの時に食べてもらいたくってさ。持って行った。食べられた?」

母:「全部は食べれなかった・・・」

わたくしと会話しているとホボぼけがない。しっかり聞き理解し回答している。あの寿司を食べてくれたのがうれしかった。

老人ホームの隣に大きな公園があります。車椅子を引きながら4年前にデパ地下でかった寿司を食べたことがあります。その後母はそれが美味しかったと笑顔で電話で言っていました。

毎週、兄とわたくしは母に差し入れをしてきました。交互に毎週。ちらし寿司が食べたいと言われるとスーパーで買ってスタッフに手渡し届けてもらう。

2か月前に母は買って持って行ったものを放置するように変わった。介護スタッフから持ち込みをしないように注意を受けた。その最後の美味しい寿司が食べられたのか?気になっていたのです。

いまは流動食しか食べることができない。その寸前に最後のタイミングで思い付きで「いま買って届けよう!」と決めた渾身の寿司の味を母は味わったのだとおもう。間に合った。うれしかった。

その後母は眠っていたようだった。

母からふつうの柔和な笑顔をみることはなかったけれど、50分間の介護タクシーでできることはすべてしたような気がしています。

老人ホームに到着しストレッチャーからリクライニングの椅子に移動。早速、老人ホームの看護師がコロナの唾液検査をしていた。

コロナ感染があるので、長居はしない。2度大きな声で別れのあいさつ。「またくるからな!」と2回遠目で声をかけると、腕を上げてゆっくり手を振ってくれた。

一昨日、持たせている母の携帯電話に電話すると電源が入っていない。老人ホームのケアマネージャーに電話で聞くと、母は車いすに移動することはできず、常時ベッドで寝ているという。

携帯電話を使う事は出来なくなった。

ことしの3月にサービス終了のために携帯電話の機種変更をして8か月。まだ車いすで生活していた母は、小さな機種変更で電話操作できなくなった。その間に電話で母と話しができたのは2回。

今回の入院中、母の携帯を持ち帰り着信音を最大にしてから病院の看護士に手渡している。電話で会話できたなら、と思っていた。

ねばりに粘ったけれど、今週、母の携帯電話を持ち帰り契約を解約するつもりです。

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