スマフォをこれまでに無い、人体に悪影響を与える驚異の道具とし、もはやドラック同様に警鐘を鳴らす本。
たぶん、スマフォを手離せない人が読んでも、納得しないでしょう。子供を心配する親が読んで注意するには役に立ちそうです。
人類史や進化の過程から見てみると、そもそも人間のテクノロジーに対する、適応力は人間にはホボ無い。
テクノロジーをのべつ離さず持ち歩けるからこそ、スマフォはいまだかつてない有害性を持ち人を壊す。人とスマフォは「ミスマッチ」という論調です。
私はスマフォを常に携帯しているけれど、アイデアをメモったり、スケジュールチェックをしたりすることが多く、ゲームもSNSも動画も見ません。電車でネットを閲覧することもあまりしません。
もともと電話で会話することが好きではなかったので、携帯電話もあまり使わなかったし、スマフォも”災害時の為に必要だ”と会社から言われて渋々購入しています。
わたくしのような人は稀で、周囲の人々は、とにもかくにもスマフォスマフォスマフォという感じがしています。
あなたはどうですか?
SNSを使うほどに人は孤独になる、とアンデシュ・ハンセンさんは言っています。世界中の人々と簡単につながり人生を豊かにするのがSNSだとうたわれてきたけれど、現実は真逆。
私は、使い手の使い方に問題があると考えています。バランス感覚だと思います。
上手く浅く使えば、人脈は豊かになるし、自分時間が無くなることもない。眼が悪くなることもないし、注意力がなくなることもない。
SNSって、どこか虚構性があると私は考えています。このブログもSNSですけれど、なるべく自然な実生活と変わらない考えや興味関心事を綴るようにしています。
なにか受けるキャラを立てて、幻想の架空の人物になりすますようなことはしたくありません。たぶん、そんな人がウヨウヨいそうに思っているので・・・。
「スマフォは最新のドラッグである。」と本書にありました。
ゲームなんでしょうか?様々な課金システムにはのめり込ませる魅力と誘惑が巧み。
スマフォの機能はパーソナルコンピューターと同じです。タッチパネルが違う程度。パソコンが世に出た時、本書のような論調はなかったし、むしろペーパレス社会になると言われいて、実現しませんでした。
スマフォは現金に対するクレジットカードのようなものです。自己管理能力が無いと簡単に人生を壊す。
私はスマフォをあまり使わないけれど、世の人々は概ね過剰なくらい使っています。
クレジットカードが世に出てすぐに、貸し出し額いっぱいまでお金を借りた人がいたのと同じ現象です。
複数のカードで同じように借りて自己破産した人がニュースになったように、新しい機能に興奮しているんですみなさん。
職場でも仕事の合間に上司の目を盗んで、仕事と無関係なゲームやらをしている同僚がいます。
興味関心は現実世界にはなくスマフォの世界に向けられている感じ。
こうした人と関係性を築くためには新たなコミュニケーション力が必要なのです。
で、なんでスマフォスマフォスマフォとなってしまう人がいるのかを本書で知っておくのは良いことだと思います。
不眠症や精神疾患者が増えていることとスマフォの普及には関係がある、と書かれていました。スマフォ中毒のような人は、意識的に日常に運動を取り入れることを推奨しています。
少し話しが変わります。
わたくしはデート中に相手がスマフォをいじる人とお付き合いしたことがありません。
移動中はかまわなあいけれど、例えば食事中にゲームされたりネット検察されるのってどうなんでしょうか? という感覚が今はあります。
スマフォをいじりながら現実に人がいるのにスマフォを優先したら人間関係は良い方向に向かなくなる場合は少なくないと思います。
何か現実逃避というか、今がつまらない事のサインであるかのように相手は感じてしまうのではないでしょうか?
そうした気づかいのある人にしか会いたくはないし、自分の時間を大切にしたいと思います。
若いファミリーで夫婦が前を歩きスマフォを見ている、その後ろで小さな子供が誰とも話せず、コンタクトのないまま、ぽつり一人で引き連れられるようにただ歩いているのを見かけたことがあります。
少し洒落た中華店、夕食を一人で食べていると、同じ室にカップルの男女。話しをしながら、話題の内容についてネット検索し、検索結果を「・・なんだって・・」と会話している。
デートなんでしょうけれど、二人の空間にネットが割り込むと楽しいんでしょうかね。盛り上がる、ようでいて虚しい。楽しさがあるようで人肌感覚が無い、わたくしにはわかりませんでした。
思うと、テレビを見ながら家族で食事をすることには慣れてきたし、そんな家でした。たぶん、みなさんも、似たりよったりだったでしょう。
ならば、テレビがスマフォに変っただけだ、とも言えるんでしょうね。テレビですでに人間は疎外感の中にあった。もっと分断するようにしてスマフォが生まれた。
私は、人間の適応力ってアンデシュ・ハンセンさんが警告するよりずっと、あるし、これまでも、これからもどんどん変わって適応しながら生きてゆけると思っています。
ひとくくりに人類史を語れるほど、人間の人生は単純ではないし、昔には今では皆無な危険や複雑な関係性もあったと推測するからです。
様々な論文を裏データとして、持ち出して正論の担保としてみせる手法が流行っています。本書でも同じ。
でも、サンプル数、母数っていう数が一番大事だと私は考えます。
どこかの教授の実験でこうした結果になりました。
という仮説と実験の意図と検証結果で、何人のデータをもって、人類全体に当てはめているんでしょうか?
数千、万単位くらいのデータが欲しいし、数百人程度では、世論調査にもならないと私は思います。
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