新型コロナが猛威を振るう中で、このような催しを開催する事は問題はある。
というところから法話が始まりました。「問題はある。」とおっしゃるけれど、もちろん、細心の注意をすれば問題が無いと判断したからこそ瞑想会を開催しているのだ、と私は思いました。
ココは個人的な見解ですが、実は、新型コロナの潮目は昨年末に変ったようです。その事に私が気づきだしたのは、つい1週間前のこと。
完全にピークアウトするのかはわかりませんが、実際の現象と煽り気味のマスメディアの傾向は分けて観る事をお勧めします。
会場の参加者の心を見てからテーマが決められたのかわかりません。
心に鍵をしてロックしている事は良くない、というお話しをされました。
新型コロナウイルスは、自分たちが存在し続けるために状況判断をしている。ウイルスは自分たちだけでは存在できないことを自ら知っており、
ホスト(主人)である生命に取り付いて存在してゆきます。毒性を高くしていると、ホストが死ぬことも分かった。ホストが無くなると、自分達新型コロナウイルスも存在が危ぶむ。
ホストが壊れたことで、ホストを壊さないようにという新たな状況判断をした。つまり、コロナウイルスは自分を変えることで存在を継続している。というお話し。
私は「無常」ということを知らないけれど、常に変わる不安定なものが人間界であり、世界であり、地球である、という程度には認識していて、ソーしたことの、当たり前な1つには、コロナの変異はあって、それのみを取り出して驚くのはおかしい、そう思わなくては、と感じながらお聞きしていました。
そこから一転して、親のいう事を聞かずに、車から飛び出す子供がいる、という話しへ。
親子のコミュニケーションがちゃんとしていると、親の言いつけ、注意をしっかり守る子供になる。ところが、親のいう事を聞かない子をたまに見かける。
その原因は親子のコミュニケーションの不足にある。親=大人が「自分は正しい」と思うと、その途端にコミュニケーションが途絶える。断たれる。
心の鍵をロックしてしまっているのは、実は親の方。
「自分は正しい」の一点張りの親には、その子供とコミュニケーションを図ることができていない。だから、子供は親のいう事を聞かない。
お釈迦様はこうした、心に鍵がかかっている人の状態を「裏返しにした水亀」といった、のだという。
本来であれば水をたくさん貯めることができる亀であっても、その底を上に、あべこべにすると、水は少ししか貯められない。
「あなた方は、”裏返した亀”になっていないかな?」という事。
瞑想指導の時にも、話しに乗ってこない参加者に向かって、「裏返しにした水亀」と長老はおっしゃっていました。
たぶん、今回の参加者の心の状態を察知して、そこからお話しを組立られたのだと私は感じました。私には直感的に自分の事を言われたような気はしませんでした。
「自分が正しいと思うともう地獄しかありません。」と長老はおっしゃりました。なぜならば、周囲とのコミュニケーションが断たれて、最大の苦しみが生まれるからです。
新型コロナウイルスでさえもがしている変化を人間は頑なに拒絶する、という事がある。というお話しとして私は理解しました。
日常的には、いつでも「自分は正しい」と思ってるのが人間です。何かトラブルが起こると、自分以外の誰かのせいにする。
昭和の頃は、電車の中でもバスでも知らない者同士で良く会話をしていました。知らない大人が、子供の私たちに躾をしていました。
コミュニケーションがありました。ソコから、コミュニケーションがなくなって、より一層「自分が正しい」と思うような世の中になったように私は思います。つづきます。
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