ベールに包まれながら開くために

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リーマンショック級の不況・リストラが起こりそうだと一月万冊の清水さんは警告されています。日本では知られていないし、そんな事を言う人は変人奇人として扱われているんでしょうか?

世界の名だたる企業の業績が悪化しています。日本はそもそも世界の名だたる企業に名が無いんでずっと以前からやばいですけれども。

今週は新型コロナ陽性者が私の身近で数人発生しています。あなたの身近ではないですか?あるとすると終わってません、コロナ。もうイヤでしょうねこんな話題は。

日本の世間の雰囲気は、新型コロナ対策からの解放気分が全体の流れとしてありますよね。私も先週までは「もう大丈夫かな?」と油断していました。

ニュースもあまりコロナ関連が扱われていないと、終息してきているという印象はあって、印象操作というのはあるんでしょうね、今年は参議院選挙がありますし。

昨日、何気に普段見ない時間帯にニュースを観ると全国のコロナによる死者44人。「え?多いんじゃない?」と一緒にテレビを見ていた連れから言われ、「確かに多いね」という感想。

たとえば、自宅の庭で事件や惨事が起きていたとします。でも、カーテンを閉めているとわかりません。見たくはない現実を覆うと見えないので、もしかすると不安感は解消されます。

イヤな深刻なニュースを観ると落ち込む、気分が悪くなる、ということがあります。私もソーです。だから、テレビの報道番組の多くにはニュースの後にスポーツニュースに突然切り替わる構成です。爽快感で気分を変えるために。

カーテンがあって見えないことでも、現実に起きていることってあるので、その現実から受ける影響は、今見えていないだけです。影響は受ける必ず。

コロナであれば最悪感染して死ぬ。ということ。60歳、70歳の人ほど他人事にしてはいけない。カーテンを開けて確かめる勇気は必要だと私は思います。

見たくはないものを観る。だって現実世界で、わたくしもあなたもココで生きているんですから。

今週、埼玉方面のJR線で通勤時間帯に2日連続して電車が止まりました。身投げだったようです。

昭和の子供の頃は電車の身投げは必ず大きなテレビニュースになっていました。めったになかった。昭和、平成、令和と変わり、世の中は進歩した部分もあるし悪化してしまった部分もあると思います。

人々の反応が冷徹というか他人事になってしまって、人の命が無くなった事を思いやるやさしさが減ったと感じます。

自分に影響がないだけで、カーテンの向こう側で影響を受けた人がいて・・ということだったのかもしれない。でも、ソーは感じ取れない、感じ取らない。そんな空気ばかりの世の中。荒んでしまった。

最近思っていることは、「議員さんたちは”選挙が無くなればいいんだがな・・”と思ってきていないかな?」ということ。

選挙の奴隷なのが議員さん。なので、国民はこれまでは「結局国民が選べばいいんで、だめな候補は落とせばよい。」と思ってきたし、今後もそうすれば良いと思っていることでしょう。

カーテンを開けて知ると、違った現実はある。で、今のように5年後10年後20年後も同じようになっている保証ってないんです。変わるんです。

このままだと選挙が無くなるかな?と私は最近感じています。かなりの確度でソーなるかもしれません。きわめて重要な今年の選挙です。最後の選挙なんじゃないですかね?選挙っぽいものは表向きには残るんでしょうけれど。

このままであれば、たぶん、数年後に確実に、有権者と議員さんとの立場が逆転するからです。少なくともカーテンを開けている小さなメディアはあるので知る事から始める。で良いのです。知らないと混乱するでしょうから。

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