居場所の作り方

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居心地がある、居ても無理が無い感じ。居場所。

居心地が無い感じ、で、思い出すのは、30歳代の柳美里さんが、学校の頃はいつも息苦しくて居場所がなく、休憩時間になると窓を開けて、身を乗り出すようにして外の空気を吸っていた、と言っていたことです。

わたくしも似たような生徒でした。何かをやりたいところではなく、強いられてただ居なければならない場所が学校でした。

完全に、アウェイ。

アウェイ とホームってありますよね。サッカーでも野球でも。ホームでは味方の歓声があって応援してくれる。

アウェイ には敵の応援しかない。ナイスプレイをしてもブーイング。学校ではブーイングはないけれど、いじめられていたのでもないけれど、居場所はなかった。変だったことは、 アウェイ 感があって、馴染めないのに学級委員に選ばれたこと。

ソーユー人って案外多い気がします。孤立無援だから選ばれた。

たぶん、「コイツにしておけば、誰からも恨まれない」という同意と合意が周囲であった気がします。そんなことを当時は考えていなく、粛々とすべきことはしていました。

岡本太郎という、太陽の塔を作った芸術家の作品に、「座ることを拒否する椅子」があります。知ってますか?

座る為に作られた道具が椅子であるにもかかわらず、座らせない!という意志でもあるかのような、座ると痛い椅子です。

座面に顔があって、ゴツゴツ、デコボコしている。

座る事をさせない。「ああ、疲れた、椅子がある、座りましょう」とならずに、人間の都合を無視して、座れない椅子がそこにある。

何とも理不尽で、やさしさの欠片もないようなことを考えるものだ、とは最初は思わなかった。なんていうアイデアなんだろうか?と驚いた。

予定調和を破壊するようなアイデア。

「座ることを拒否する椅子」 というのは、ホームで安心するなよ!という椅子なのだと私は思います。

サッカーや野球でいうところのホームグラウンドのホーム。ほっとする、声援を受けるとうれしい。居場所がしっかりあって、いる事でみんな喜んでくれる。ホームだと安心する。

そこを拒否して、オレは アウェイ でこそ戦い抜く!ということのように私は感ずる。

実際の自宅にあっても、オチオチと楽を選ぶな!くつろがずに戦え!

という宣言のような。

すでに話しが2転3転していますが、話しが変わります。

小説家でも芸術家でもない人はどうすればよいか?

今の私の仕事は、業務内容も職種も、やりたくて就いたのでは有りません。
初めは、馴染めない。でも、辞める気もない。

リーマンショックの翌年に、失職して、どん底からやっと見つけた仕事でした。入社すると過酷。日々、目まぐるしく忙しく、ピークが必ず有って、 ハアハア言いながら乗り切る毎日。


偏屈な先輩社員も去り、一番年配になって数年。心地はわるくありません。居心地がある、確かに。


何故なのか?
周囲の社員より、かなり仕事が出来るからだと思います。自慢ではなく、質と捌く速さと量を意識して差別化した結果です。ヴィパッサナー瞑想を知って実践すると、困難をあまり意識せずに過ごすことができ、集中力で能力が上がったからです。


日々努力して、他の社員では、していない事を身につけて、出来るように自らを仕向ける。
こうした習慣が、群を抜いた。会社から評価をされる。


能力だけでは無いけれど、役に立つ、そして、他の人が出来ない、あるいは、やろうとしない事をして、会社の施作、利益に貢献すると、居場所がしっかり与えられる。


苦手な事、出来ない事を仕事にしていると、必ずそばにきっと、出来る人はいる。
すると、出来る人には居場所があり、出来ない人には居心地は良くない。

やりたくってしているんではないけれど、悪くはない。
出来の悪い人の居る中に入ると、簡単に居場所を作る事は出来ます。

無理なく、出来てしまえる、自分にとってはなんでもないような事を仕事にするのが良いと思います。

岡本太郎さんは東京芸術大学を首席で卒業された方。向いている事をしっかり選ばれているのです。

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