一月万冊の清水有高さんは、月に1,500冊読書することのある読書家。日に50冊をコンスタントに読むことができると、月に1,500冊を読破することができます。
私は、本読みでも読書家でもありません。小中高で本が好きな友人はとっても本をすらすら読んでましたけれど、私は全くの遅読。
頭に入らないので、おなじページを何度も何度も繰り返す。けれど、わからない。そんな感じ。
社会人になってから、本が読めるようになりました。
就寝前に好きな本を読むことが習慣だった時期もあります。でも、10代の頃は全く好きではなかったし、本読みの方々にはかなわないと思います。
興味のある事ばかり調べていたのが20代。未だに興味が湧かないとその本を手にしたいと思いません。
コーした自分の興味がある本ばかりでは、危険だと清水有高さんはおっしゃっています。
どう危険なのかは良くわかりません。
ちなみに、今読んでいる私の本はというと、「儲けにつながる会計の公式 岩谷誠治著」、「日本のコロナ対策はなぜ迷走するのか 上昌広著」、「2016年の週刊文春 柳澤健著」、「食べていくための自由業。自営業ガイド 本多信一著」、「スマホ脳 アンデシュ・ハンセン著」、「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった 岸田奈美著」、「名前がでないがピタッとなくなる覚え方 宇都出雅巳著」と言った感じです。
バリエーションがあるのか無いのか良くわかりません、自分では。
清水有高さんは、書店にゆくと、何も考えずに、目の前の棚の本を左右の手を広げて、ごっそりと手に取り購入して本を読んでいたそうです。
興味があるなしに関わらず、あらゆるジャンルの本を手当たり次第。
原発でも憲法でもいいんですけれど、ある一定の量を多数、様々な視点から書かれた本を読むと、本当は何が正しいか?
ということはわかると私は考えています。何が正しいか?という解はある、と思います。
立場の違いというのは、個人的な価値観の違い、というよりも勉強量の違いなのだと思うのです。
1つの狭い分野で数十冊、専門的に知りたいのであれば百冊以上読んで知っていると、どこを知らないんだな・・だからこうした結論なんだよね、ということがわかります。
人間の脳ってだいたい同じにできているんです。
1+1=2って簡単です。文章だって論理なんですから同じです結局は。
感情を取っ払ってしまって、知識を得ると、理性に従うと、だいたい同じことになる、と思います。
清水有高さんは、社会人の読書量の少なさを嘆くと同時に、この国を動かしている官僚が本を読み勉強していると言います。
知識があるから、誘導できる。
だから、ごまかされないためには知識で負けないことが重要だ、というのです。
私が、いくつまで本が読めるのかわかりません。眼が弱ると読めなくなりますし。
読書法を変えて、身につけて、これまで体験したことがないような読書生活をしたいと思っています。
60の手習いっていうやつです。
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