異邦人 アルベール・カミュ著

読書とその周辺

「ジャーナリストだった父が勧めてくれた・・・」と最近知り合った女性が繰り返し読んでいる。このタイミングを逃すとたぶん読まない。なんで、読みたくなったこの”異邦人”には感動的な場面、言葉がありませんでした。被疑者の心理に寄り添う価値はある。

2022年であれば、異邦人性のある人々は出版された当時よりも多く、共感できる作品だと思います。

後半の最終章。

今後の展開を予測して、恩赦で刑を免れ、そこから恋人を殺し再び捉えられて最後に死刑になるのだろうナ、と思いながら読んでいると最初のクライマックスだけで終わってしまった。そんな読後感があります。

短編。

おなじような読後感、「モーおわり?」があるから、他のアルベール・カミュの著作や手記を持ちだして解釈したい輩がいる。

研究者は評論家は独自研究するのが商売。ソコに読者がハマる必要はありません。

作品は1つの作品は、ソコで完結するように作るものだからです。

同じ芸術の絵画。

絵画って習作は作品への試行錯誤の過程として描くけれど、別な絵と組み合わせて解釈しない。同じ。それだけで閉じ込めて読む。デいい。(短い句点。「異邦人」に似せてますココ(笑)

「異邦人」とは司祭や世間が感じるムルソーのこと。(「こやつは異邦人のごときヤツ」とおもっている)けれど、主人公ムルソーが衝動的に殺したアラビア人でもあったでしょう。アラビア人が異邦人です常識的には。

ソー感じとれるから深みが増すようにして作られた作品。

小説「異邦人」は、ムルソーのものの視点と感性や考え方を常識から乖離させることで”異邦人”性をもたせ、常識の側に司祭・世間を配置しています、たぶん。

アルベール・カミュは言葉の配列と距離感から受ける、読み手の感情の波・うねりの作り方が上手い。小説家ってみなさんそうなんでしょうか?わたくしは小説を読まないんで若葉マークなんで新鮮にソー感じました。

太陽の扱い方は人生の苦悩を象徴しているように繰り返し描かれながらも、そのときだけは心地よくなる、というように、象徴の意味を反転させることで主人公のこころの流れ変化を巧みに表現してみせる。

アラビア人との関係性を説明することなしに対立させてあっけなく殺す場面から受ける空洞感を、読み手の心に、薄弱でありながらのつっかかりのポイントとして留め置く。

母の死への悲しみと怒りを表現しているようにも読める。重たい。軽さ・薄さが逆に重さを表現している。

USAもヨーロッパもアラブもキリスト教の聖書の国々です。一神教民族宗教文化圏。

イスラム教は聖書の物語の延長発展形とみとめるとイスラム教は生まれ、否定するとキリスト教にとどまる。

このことはユダヤ教とキリスト教の関係性とホボ同じ。

当事者からはツッコミどころ満載でしょうけれど、鳥瞰する部外者のわたくしからはソーみえる。

ムルソーの感受性はわたくしとかなり似ていました。決定的な違いは殺人は決してしないこと。2022年であれば、そっくりなムルソー系のひとは少なくはないと思います。殺人は別として。

常識から離れてアウトサイダーのようにして疎外感の中で、晴れやかなもののないまま、たんたんと日常を繰り返している。でもどこか、人の話しの聞き役になるやさしい。

似ているんで感動できない。だって自分がソーだから。

この「異邦人」で興味を受けた部分。

異端の孤独な主人公ムルソーと司祭(世間の常識)という対立項は、司祭の絶対的神聖さ伝統と、弱さの中にひとりある、強靭な意志と反抗によるムルソーの叫びによって、揺らぎを生み出し、生きる虚しさを鮮明にあぶり出す装置になっている。

ただ、ムルソーではなかったのではないか?

対立項の選択の問題。

アラビア人を主人公としたとき、もっと鮮明度は上がったように感じます。

裁判所の場面を思い返す時、わたくしはドーしても被告や原告を周囲から刺す視点でしか思い描くことができませんでした。

ケド、「異邦人」では被告人が裁判の傍観者であるかの如くに裁判長、検事、証人、傍聴者、マスコミを客観的に冷徹に見ている観察している。読者はそのときムルソーになっている。被告自身になっている。

これほどリアルに被告人の感情を感受できる小説は稀有なのだと感じました、恐れ入った。

小説「異邦人」には女性視点がありません。

あるとすると、ムルソーの母の感性。「なんでも人は慣れるもの」。でも、母性は男性が感じるものとして描かれまったく女性視点がない。時代性。

司祭者を冒とくすることは、たぶん、いまも有り得ない。2022年になっても当時の価値観を引きづっているでしょう、あの一神教民族宗教文化圏ならば。

こまかなことは説明しませんけれど、ヨーロッパ文化よりはるかに広大で深遠なのはアジアの文化だよナーと改めて感じた「異邦人」でした。そろそろ日本は脱亜入欧から脱皮する必要がある。アジア主義でもない。

技巧的に言葉を選び端的に表現してみせる芸術作品なんで、読み返さずにおれない。文庫だと157ページ。女性が繰り返し読むにはすこし無理があるかもしれません。ただし、男性をしるにはいいかもしれない。

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