今は老人ホームのお世話になっている母と最期に温泉ホテルに行った頃。狭い部屋で長風呂の母を待っている間にみたテレビ番組「知床ヒグマ運命の旅」が今も思い出されます。
これからの時期は、冬眠を前にして、クマが街に迷い出ることがあります。明らかに人類の急激なライフスタイルの変化と無縁ではないとわたくしは考えています。
いったい、この頃の地球ではどのくらいの生き物がいなくなっているんだろうか?と探しあてたのが、
キッズネットです。2億年前までは1000年でひとつの種がいなくなっていた。200~300年前までは、4年にひとつの種がいなくなった。
100年前までは、1年にひとつの種がいなくなった。そして、1975年には1年間で1000の種がいなくなった。そして驚くことに現在はどうなっているのか?
というと、1年間に40,000種の生物が絶滅しています。ちょっと驚いた。かなりヤバイんではないでしょうか?
絶滅するような原因を作ったのは確かに人類に他有りません。だからといって環境問題にばかり関心があるのでもありません、わたくしは。もっとももっとはるかに重要なことを知ったからです。
こんな前置きをして、知床半島の熊の物語を8年前に書いていますので、お時間のある方はどうぞ!かなり長文です。
知床ヒグマ運命の旅
毎年「クマ出没」というニュースが突然のニュースとして報道されます。そして、この夏に旅行先で見た番組でヒグマの生態を知ることができ、すこしわたしの「クマ出没」の見方がかわりました。(今回はまったく求人に関係ないコラムになります。お急ぎのかたは読み捨ててくださいネ。かなり長いです)
2014年8月3日、NHKで放送された「知床ヒグマ運命の旅」という番組をご覧になったかたも多いことでしょうか?
ネットでは、「断定的で偏った番組・・」と過去に取材を受けたことのある(と思われる)かたの見解をわたしは目にしました。それでも私にとってはかなり考えさせられたよい番組だったと思っています。そして、この1ヶ月ほど、何かがひっかかりフトしたときに考え続けていました。
知床には200頭のヒグマが縄張り争いをしながら必死に生きている
長さ70kMの知床半島は世界有数のヒグマの生息地で200頭ほどが生息しているということです。知床というと冬には流氷が見られ、手付かずの自然が残る日本の世界遺産の1つですね。
ヒグマの生態については今回の番組で知りました。大人のヒグマはオス同士が縄張り争いを繰り広げ一生を森の中で過ごします。力の強いヒグマほど餌となる木の葉などが多い住みやすい場所を勝ち取り、より生きやすい縄張りを得て多くのメスと交尾することができ自分の子孫を残すことができます。
30歳以上になる元ボスのヒグマの耳には調査のために両耳にオレンジ色の札なのか発信機なのか不明ですが目印がつけられています。この番組ではその元ボスのオスのヒグマを「オレンジ」と名づけます。
そのオレンジの元ボスのヒグマの遺伝子を受け継いでいるヒグマがこの知床半島には一番多くいるということが最近の調査結果でわかりました。一番ちからのつよいボスが森の中の一番餌場としての条件のイイ縄張りを陣取り、発情期にもその力を遺憾無く発揮して子孫を残す。
強さが全てという世界がヒグマの社会です。
ヒグマのオスの世界は厳しい生存競争によって成り立ち、その生存競争に打ち破れたオスが、森を追われてひとが住む街中や住宅地域に、自分の居場所を探すように出没することがある。
生きられる場所が無くなっていく
ここのところ毎年のように「熊が出た」という報道を見聞きするのだけれど、「自然破壊によって餌のすくなくなった森林から下界に降りてくるのは人災だよな」といった程度にしかこれまで感じていなかったわたしは、今回の番組で、すこしこれまでとは異なる見識を得ました。
「知床ヒグマ運命の旅」では1頭の母ヒグマとオスの兄弟2頭の家族の4年間を追っていました。母熊は胸に白い「一」の字のような模様があるのが特徴で「イチコ」と言います。オスの2頭の子熊は魚の漁が得意な方を「クロ」、なかなか餌を捕獲することができないひ弱な「シロ」と名付けられました。
「知床ヒグマ運命の旅」の今回のNHKの取材によると、子熊は2年ほど母熊と一緒に暮らしたのちに独り立ちするのだそうです。
独り立ちしたオスのヒグマはさらに近親交配を避けるために生まれた地を離れ遠く森の中を一生旅することになります。
知床半島の北西部には「ルシャ」と呼ばれている鳥獣保護区で特別保護指定区域があります。そこはもちろん住宅などのない、ほぼ手付かずの自然ゆたかな森。河が海に向けて2本流れるこのルシャはヒグマの子育ての場として最適ということです。
ヒグマは雑食で森の木の葉も食べるし海岸沿いにいるヨコエビというちいさなエビなども食べます。海岸沿いの石の下によくいるヨコエビを前足でその石を取り除きながら食べるヒグマの姿は、ヒグマが雑食であることもよくわかる映像で、器用で頭のよいこともわかります。
ヒグマはかなり短命です、たぶん環境悪化が原因でしょうね
木の葉の若葉を食べ、海由来の餌なども食べるかなり環境適応能力のあるこのヒグマは、実はこの知床で5年以上生存できている確率は半分なのだそうです。
生まれて2年ほど母熊に守られながら大人になったヒグマはその後3年の間、独立して生きながらえることができるのが半数しかない。わたしにはこうした知床のヒグマの社会を過酷な世界と感じました。みなさんはいかがでしょうか?
ヒグマにとって一番過酷な季節は真夏。春に若葉を食べることはできても、その木の葉が成長し固くなると食べることはできない。そして、遡上してくるマスやシャケは秋まで待たなければならない。
ヒグマは冬眠しますが、餌が多い季節にたくさんの栄養を取り入れ、餌の少ない季節に備えて耐え続けます。餌が豊かでたくましくなった同じヒグマが、餌のない季節に痩せこける映像を今回見て、「別人」?なほどその容姿・体格が変わることを初めて知りました。
ヒグマの社会と人間の社会は似ている
そして、全盛期の元ボスのヒグマ、オレンジの勇姿は獰猛で誇り高く、「たくましさ」そのものと言えるほどゴツくて隆々としていました。ヒグマの社会の頂点に立つことの象徴の姿のようにわたしの目に映りました。
そしてそうしたピラミッドの頂点から下りに下った底辺近辺のヒグマ。夏場を乗り切れずに餓死するヒグマも少なくないという。NHK取材班が追っていた母熊のイチコは食べ物のない真夏に海の沖まで泳ぎイルカの死骸を岸にくわえ上げる。
めったにない海からの贈り物。海の沖まで泳いで獲物をくわえて持ち帰ることのできる母熊はあまりいないに違いない。
空腹の中でやっと口にできる久々の食事。前の年に十分な栄養を取ることができず痩せている子熊のシロがすこし食べていると束の間、そのイルカの匂いを嗅ぎつけてたくさんの親子連れのヒグマに取り囲まれ、すぐさま餌を奪われる。母熊同士の争い。
生存競争の厳しさは人間もクマも同じ
しゅうしゅうのつかないその争いを静かにさせたのは、かつての群れのボスのオレンジでした。子熊とその母熊の中に忽然と現れたオレンジに刃向かえるものはいない。オレンジは、独り占めしたイルカを悠々と久々にお腹いっぱい食べ干しました。
2012年の秋は毎年遡上するはずのマスやサケが海水温の上昇で全く姿を見せなかった。そのため、このルシャでは子熊の3分の1の9頭が飢えで死んだ。死んだヒグマの死体を食べ尽くしたあと骨だけになった跡も目撃されている。
2年ほどが経ちクロは親離れしました。親離れは突然おとづれます。それは、母熊が発情しオスと巡り合い新たな命を生むための準備。そのためには、これまで育てた子熊を手の届かないところへ追い出す必要があります。
昨日まで、さっきまで愛情豊かだった母熊がいまこの瞬間に歯をむき出し、鋭い爪で子熊を威嚇する。なにが起こったのかわからず、途方に暮れる子熊に用捨せず、猛進して蹴散らす姿。
やむ負えず、しかたなく危険な街にでるのではないか?
途方にくれて立ちすくむ子熊の姿。子離れでもあり親離れでもある、これまでとの違いに戸惑い立ちすくむ子熊の姿は、人間がこの世で独り立ちし始めた時の不安や悩みにも似たなにかがあるようにも感じました。
そのクロが親離れした後も餌を捕獲するのが苦手で痩せ細いシロを引き連れていたイチコは、定置網にかかったマスなどを食べ、したたかに生き抜いた、シロを従えつつ。そして不漁のその年も、先に独り立ちしたクロの生存も確認されていた。
しかし、からだの小さいシロをイチコは手元に置いていた。そしてかつてのような力がなくなった年老いたオレンジも生存競争の激しいオスグマ社会を生きていかなければならない。しかし、その不漁の年、普段は警戒して決して足を踏み入れることのない街中にオレンジが姿を現らす。森の住処を追われたから。
クマ対策に追われる人々
知床では居住区で熊を見かけたという情報が毎年1000件以上あるという。わたしたちがテレビなどで「熊出没」といったニュースを見るのは、そんな熊の生活のほんの断片に過ぎなかったということがわかります。
知床財団 事務局長の増田泰さんは、
「人間の事故も起きないようにしないといけないし、クマが出没したからといって、すべてを捕殺して解決しているわけでもなく、人にもクマにもできるだけ優しい、山に追い返すなどの方法で対応しようと努力しています。」
と語る。
そして、それでも、「なかなか、そんな綺麗事では済まないようなことも起こります。」と続けた。
オレンジは1度街中に出没した後、本来の住処ルシャに戻っている。しかし、そのルシャで取材班は変わり果てた元ボスの姿を見かける。敵の若いヒグマとの戦いで負った傷。尻の皮から筋肉まで深く削ぎ落とされ致命傷を負っている姿。
その尻の皮が大きく剥けてなお、1歩1歩森の中へ歩き向かう姿に、老いの苦しみをわたしは感じました。その後、その元ボスのオレンジが姿を現すことはなかったという。
同じことが繰り返されている
2013年04月、知床半島の南側の生息地ルシャから遠く離れた南側の羅臼町に先に独り立ちしていたクロが街中に姿を現す。それを機にこのクロは「危険なクマ」と認識される。
花火などで森に追い返す職員の願いもむなしく、何度も目撃情報が寄せられるようになり、一ヶ月たたずに捕殺された。3年の短い生涯であった。
ヒグマと人間の共存のために、ヒグマの侵入を減らすための電気柵が小学校の通学路の周辺に設置されている。街中に迷い込まないために。花火などで森に追い返すことも繰り返しおこなわれている。
クロの死から2ヶ月後、独り立ちした弟のシロも居住区近くの海岸でよく見かけるようになる。遠目にも痩せている姿。森の中のオスの生存競争に負け森の中に彼の居場所を見出すことができなかったからだ。
海岸沿いを彷徨うシロの姿は餌を得ようとしている様子でもなく、海岸から離れようとしない。イルカをイチコが沖から口にくわえ上げてきたあの頃を思い出しているかのように、鼻先を上げて海の匂いを嗅いでいる。母から餌をもらえた頃を懐かしんでいるように。
死ぬために生まれてくるかのようにして
「森では自分の居場所はなくなりました。どうしたらいいんでしょうか?」とむかしを思い出しながらイチコに問いかけるような姿に私には思えてなりません。その後シロは10回以上街中で目撃され、街の中心部にまで姿を現すことになる。そして兄と同じように捕殺された。
そして1年がめぐり今年2014年の春。イチコには新たに子熊が生まれていた。番組は、その子熊と母熊が森へ歩いていく後ろ姿で終わっている。
このエンディングでわたしは、同じことがまた繰り返されるだけではないか、という気持ちを強く持ちました。生まれたばかりのその子熊には決して明るい未来は待ち受けていないと感じました。生まれて生き抜くことの過酷さ、惨たらしさ。
仏教でいうところの「すべては苦」ということを象徴している物語。このヒグマの運命と人間の運命になんら違いはないと感じました。
番組ではむしろ、自然の摂理と新たな命の誕生へ希望の思いを感じさせる終わり方にしていたと思います。
夏休みの放映。子供達も見ることを想定しての番組作りだったはずです。そこにあえてクロが捕殺された写真とシロも捕殺された哀れな姿をあえて見せたかった。帰らぬちいさな命の終わりをしっかりと映し出す。
生まれることも生き続けることも、やはり苦しい
もしかしたら、生きること、生き続けていくことの厳しさが1つのテーマであり、そうしたことを夏休みの子供たちに見せる意義があると製作者は考えていたのかもしれません。視聴者からの「かわいそう。あそこまで映し出す必要はない・・」という抗議の声も想定していたハズです。
毎年「クマ出没」というニュースが突然のニュースとして報道されます。しかし、実はそうして街中を彷徨うヒグマは、森を追われ食べるものがなくなってしまった「では、どうすればいいんだ!」という最後の最後の、止むにやまれぬ上での人里への出没なのだ、ということをわたしは初めて知ることができました。
思えば、クマが人里に出没することをクマのせいにしてしまい、ただ、「怖い」と感じている視聴者もきっと多いことでしょう。「怖いクマ」、「危険なクマ」だと。
クマのせいばかりにできない
そして、知床のこのヒグマの物語を人間社会と重ね合わせてわたしは考えていました。隆盛の時代を経て後、その立場を失っていく元ボスの姿は人間社会で言わば紙コップのように使い捨てられていくリストラされてしまった、またはリストラに怯えるサラリーマンのように思えてなりません。そして、バブル経済崩壊以降この国には自殺者があとをたたない。
独り立ちしたばかりのヒグマが相次いで捕殺される場面はさながら、年若くして社会に出、競争社会で程なく力尽きてしまい途方に暮れる若者のようでもあります。うつ病発症数が高まるいまの日本社会と似ている、むしろ人間社会よりもはるかに厳しい社会をヒグマは生きている。
なかなか独り立ちできなかった弟のシロは、捕殺される前、海辺で何かの匂いを嗅ぐような振る舞いをしています。シロが子供の頃を懐かしんでいたのかは知りません。でも、そんな、かつての楽しかった母との日々を懐かしんでいたかのように思えてなりませんでした。
生きるってなんんだろう?
世間に疲れ果て行き場を失ったひとが、遠い子供の頃を懐かしんでいる。シロが捕殺される直前の海に向けて鼻を動かす姿は、もしかしたらすでに生き続けることを観念してしまっていた姿だったのではないでしょうか。
いまの戦いで居場所を見いだせず、何をどのようにしたらいいかがわからなくなると、戦うことを諦めて後、ひとが過去の良き日を思い出すように。
今回の番組を考えるにつれ、最初に見た感想とは違う思いにも私はなりました。
捕殺は「運命」ではなく、人間の金の問題なのではないか?
鳥獣保護区では、バースコントロールが御法度ならば、捕殺せずに生け捕りにして飼育していく。
発想を変えて、絶対に外に出られないような強靭な柵で人間とヒグマの世界を完全に遮断できないのか?そうした「共生」を共生とは考えられないか?
その飼育費も柵の費用も捻出する気がない。理由は「お金がかかるから・・・」。
生まれた命は殺してはいけないのではないか?という単純で純粋な疑問と
お金が絡む人間の大人の事情。
この1つの疑問と1つの事情が長らくわたしの頭の中にありました。
捕殺しないことはどれだけの綺麗事なのか?
(ココで、「いやいや、人間は動物を食べてきたし今後も食べていくのだよ・・」と言うことは、鳥獣保護区とかワシントン条約、といった施策意図を解さない、クソとミソの違いのわからない稚拙な見方です。
クソとミソの違いのわからない人が企業を起こすとブラック企業となり、他民族の食文化に口出しをして怒り出すことは自分だけにとってのホワイトな世界を希求する衝動なのでしょう。まっとうな当たり前の人間はいつでもブラックでもホワイトでもない、グレーの世界を生きていて、これからも変わることはありません、たぶん。)
何があたりまえなのか?
どちらを選ぶのかということは、じつは「人間とヒグマの共生」という綺麗事と生き物を何があっても殺さないという人としてあたりまえのことができない理由を考えることからはじまるのではないか?
じつは人間だけの問題なのかもしれません。
番組視聴後のわたしの感想は、同じような酷いことが、生まれたばかりのその子熊に巻き起こる、そのことが繰り返されることの惨さにありました。「またきっと、生き続けることはできないだろう・・捕殺されるだけではないか」と。
いまは、そのように捕殺されることを折込済みで、世代を重ねながら種の中の強者が選ばれていく。より生命力の高いクマを選び抜くための熊社会のしたたかなシステムが、はるかに人間社会の振る舞いよりも気高く、したたかなのだと思うようにもなりました。
アイヌ民族とヒグマと
アイヌモシリというアイヌ民族の土地を奪ってから、アイヌの人々が森からの神としてその存在をたたえられていたヒグマは、そのアイヌモシリでいつしか人に殺されるようになったのです。
何年も前、本土生まれで本土育ちのわたしがアイヌの方の家を訪問しながら考えていたときのこと。
どこかの個人宅のすこし広い庭であったと記憶しています。まったく別のために北海道を訪問しアイヌの方々からお話しを聞きまわっていたときフト横目に通り過ぎた時のことです。
檻に入れられたヒグマが何頭か狂ったようにその狭い檻の中を右に左にと、永遠に動き回る姿をみかけたわたしは、ヒグマの狂った目と繰り返される鳴き声が腹に響き、この世のものとも思えないその異様さに悲しい思いをしたものです。「森に返せないのだろうか?」というその時の思いから、今回の番組で考え方を改めました。
自費で、かつての神々の命を永らえることに決めた。
絶対に殺さないための苦肉の策だったのではないか?と。
(今回のこのコラムは、個人を非難するためでも個人を賞賛するものでもありません。テレビ鑑賞による感想文にすぎません。)
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