「ない仕事」の作り方 みうらじゅん著 4/7

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戦わないで戦う

「この言葉は、”グラスの底には顔が無い”ということが前提となっています。しかし、”ない”と決められたことなど一度もないのです。太郎さんは、底に顔があるグラスを作ってから、

”グラスの底に顔があってもいいじゃないか”と訴えている。つまり、自らボケもツッコミもしているわけです。」。とみうらじゅん。

芸術家というのは、そもそも、無い所から想像して何かをある状態にする。グラスの横に絵柄が書かれていたり顔の描かれたグラスはこれまでにあった。

岡本太郎さんは、富士山の絵が大嫌い。予定調和のようにして、「これを描くとみんなが喜ぶから描いてみました・・」という創造したいエセ美術家が嫌いでした。

グラスの底部に顔の作品を作ったのは作品の展示位置のタブーを否定してみせたのです、たぶん。これまでにないグラス。底に顔を彫り込んだ。

未知のおもしろさを

そのグラスに彫り込まれた作品を観るひとはいない。なぜならば、グラスの底を外側から見ようとすると、グラスの中身があふれ出すに違いないからです。

岡本太郎さんはお笑い芸でいうところのボケをかましてはいません。グラスの底なんかに顔を描くもんではないんだよ!

という日本の風潮・常識を壊して自由を謳歌したかった。岡本太郎さんは日本美術界と戦う芸術家。

先ほどの、みうらじゅんさんの言葉を振り返ります。 「この言葉は、”グラスの底には顔が無い”ということが前提となっています。しかし、”ない”と決められたことなど一度もないのです。」

「しかし、”ない”と決められたことなど一度もないのです。」 とあっさりと語る言葉は、岡本太郎さんをも超えている凄みがある。

世間様には常識があります。「 グラスの底なんかに顔を描くもんではないんだよ! 」といった。

ソコで対立せずに分析する、「あなたのおっしゃることはわかります。 しかし、”ない”と決められたことなど一度もないのです。 」。相手を飲み込んでしまっている感を私は感じます。

戦っていないからです。敵を想定していないからです。

ソコには仏教的な強靭でしなやかな、したたかさを私は感じます。たんたんと、常識を外してきた、外さずにおれなかったみうらじゅんのしたたかさは、闘わない姿勢にあるのでしょう。(つづきます)

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