「ない仕事」の作り方 みうらじゅん著 5/7

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仏教とみうらじゅん

仏教って他の民族宗教と画期的に異なります。敵を作らない。なぜならば、「愛するな!」という教えだから。愛する人がいないと敵は生まれません。

みうらじゅんさんは、子供の頃におじい様に連れられて、京都の仏閣に通いました。仏像が怪獣のようでカッコイイ、という関心から、スケッチブックに仏像を描いていました。

たぶん、仏教の教えにも興味を持たれていったハズです。みうらじゅんさんは岡本太郎さんの「なんだこれは?」という名言が好き。

私も好きです。「醜悪美」と岡本太郎さんは言っています。アラ、いいわね~という美術を否定して、醜悪と感じるものにこそ真の心を揺さぶるエネルギーがある。

みうらじゅんさんは岡本太郎さんの「なんだこれは?」という名言も冷静に分析しています。

「”なんだこれは?”という言葉は、何もないところで発しても意味のない言葉です。しかし、自ずから作品を作って、それから”なんだこれは?”と自分で驚く。

これが、”ない仕事”の本質なのではないかと、私思います。

自分で作り、自分でツッコミ、人が驚き振り返り見る。要するに、”ない仕事”とは、依頼もないのに勝手にやった仕事なのです。」 とみうらじゅんさん。

依頼もないのにやってしまった何かを、他人の喜ぶ、求めるものにして収入にしてゆく。ない仕事とは、まさに、仕事としてのブログ運営そのものではないでしょうか?

仕事はすべからく

そもそも、職業とされている仕事でもなんでも、ある仕事というのは、無い仕事から生まれています。コンビニでバイトの求人があって、応募して採用されるとコンビニバイトをする人になってバイト代が身に入る。

けれど、1974年5月に初めて日本にセブンイレブンが誕生するまでは存在しなかった。ということは、1974年5月以前にはコンビニバイトという仕事はなかったわけです。

どこかの駐車場にコンビニのお店の工事をして建てて、商品を陳列して開店してバイトを募集してスタッフが決まると、そこに仕事が生まれます。

どのような仕事でも、ない仕事がある仕事に変る点ではオナジと考えることもできます。

世の数多の仕事と、みうらじゅんの「ない仕事」は同じなのでしょうか?

小説家でも画家でも音楽家でも、ない小説を起点として小説がうまれ、白いキャンバスにデッサンをして色を置いて絵画がうまれ、頭の中の音のようなものを楽器や譜面に落とし込んで作曲された作品がうまれる。

普通の仕事とみうらじゅんさんの「ない仕事」は同じなのでしょうか?

みうらじゅんの「ない仕事」は 、そうした小説家や画家や音楽家のしている仕事とは一線を画す仕事です。 (つづきます)

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