「男です!」や「女です!」ってあんまり重要ではありません。2次的3次的です。もっと広く、もっと核心的に。

ヴィパッサナー

今回生まれて生きている感覚として、「何もなかったケド、いま生まれ生きている。」と感じていますか? 感覚的に。

それとも、今回を生まれる前に何かあったヨーな気がする、でしょうか? そんな感じします?

わたくしはさすがに生まれた瞬間は覚えていません。前世もしらない。ケド、1歳半で岩手県から東京に引っ越した時のことをいまでも覚えています。

蒸気機関車の床のワックスの臭い。お見送りでの従弟の表情。新しい住まいにはまだ畳が敷かれていなく、工事中の作業員が行き来しているのを見ていたしいまも昨日のように覚えています。

霊能力と霊感はありません、見えない。みない。

普通に区立小学校に、中学校に入学して偏差値50程度の都立高校に入学し、三流大学に入学しています。社会的にはフツー程度でまったく冴えないかんじです、トホホ。

幼稚園に入園するまえの3歳のころ。背中を向けて歩き遠のく通勤の大人の背中を凝視して、何かの気配で振り返るおとなのしぐさを確認し、「物質以外の何かがある」と確認したことがあります。

幼稚園でも小学校でも、たとえばお絵描き。男か青で女は赤、といった振り分けがされました。最初の頃は「世の中ってこんなものか・・・」と思ってきた。

けれど、小学校の高学年のころには「男とか女ってかりそめだよね」と感じていました。もっと本質的な何かがある。性別は現象に過ぎない。

当時、男の子で台所で料理をする小学生はマレ。でも、理科の実験のような感覚で材料がおいしい料理にかわってゆく母の料理を手伝うことが好きでした。

白洲正子さんは工芸の美について両性具有が美しいといっていました。

たぶん、転生輪廻の繰り返しの中で今生の男性は女性であったり、今生の女性は男性であったことはあった、と推測することは自然だと私はおもいます。

ジェンダーという差別や性同一性障害といわれて問題となるのは、本質ではない2次的3次的な現象をドーしても第一義的にしたい人々や社会が病んでいるのが原因なのでしょう。

差別や性同一性障害の当事者ではなくって、周囲の社会の総体が気にしなければ、ソモソモ問題になりませんから。

いずれにしろ、あまり深刻にならなくってイイんではないですか?

もっともっと本質的で大事なことがあります。

あなたもわたくしもプログラムバグの渦中になるということ。

プログラムでは「永久ループ」というものがあります。

一連の繰り返しの処理で、終わる条件設定を誤るとプログラムは終わることができなくなる。

人間の苦しみのループの中に閉じている。永久ループしています、わたくしもあなたもです。

初期仏教では輪廻転生といいます。

悪条件を微笑んで乗り越えましょう/悪業の報い/自己評価と卑下慢・他|スマナサーラ長老の初期仏教法話とQ&A(13 Jan 2022 ゴータミー精舎)

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