いつ死んでもかまわない

コロナ

母がいつ亡くなってもしかたない

老人ホームにお世話になっている母に老人会からお茶の贈り物が届きました。母がホームに入居する前はひとりで暮らしていました。

ケアマネージャーさんのお世話になり、掃除などのサービスを受け、民生委員の方にもお世話になっていました。

2年前には、敬老会からハガキが届いて、私が菓子とお茶を頂き、ホームの母に持参していた。今年はコロナ感染防止対策ということで郵便配達されました。

老人ホームでは対策しているので、母がお世話になっているホームではコロナ感染者は出ていないけれど、いつ感染してもおかしくはない、と私は考えています。

ヤバいけど不安でもない

コロナの前までは、ホボ毎週、差し入れを持参しながら母に会ってきました。母あっての子の私、と普通に思っているからです。

人によっては、他人に介護させるのは親不幸、子供の自分で親をみたい、と、仕事を辞めるひともいるようですね。わたくしは、自分の仕事は最優先。

なので、必然的に老人ホームを利用してもらう以外手がなかった。母もそのつもりだったので対立することなく、自然な流れではありました。

母は骨粗鬆症で背骨を何度も骨折しています。その老人ホームでも介護がうまくなく、何度か痛い思いをしています。

デルタ株について知っているスタッフはいないでしょうから、いつ感染死してもおかしくはないと私は思っています。覚悟はしている。なすすべが私にないから不安がってもしょうがありません。

親孝行は十分しました

親孝行を十分した、と子供の私が言うと、怪訝な感じがどなたでもすると思います。自分を納得させたくて思っているんではないし、自分の高値踏みしているのでもありません。

10代から自然にしてきただけです。親のことだけを考えてきたのでもない。その時にできることを子の役割として逃げることなくやってきた。

金銭的なことではありません。業の精算のような感覚でした。

今振り返っても、業を精算した、正攻法でがんばった、と思います。仕事を除くと、何かあれば母を最優先。それが近年の行動指針。

「今が一番幸せ」と母がよく口にしています。

後悔しない犠牲にならない

毎週必ず母に面会する。4日に1度は話しをする。そしてコロナ。兄とも申し合わせるようにして、面会を極力控えることにしました。

スタッフが大変だと考えが一致したからです。緊急事態宣言下は面会は予約も禁止。だからといって、悲しいこともありません。

母も子供も達観している部分がある。

執着していない。愛はない。あんまり。愛って世界的に全盛ですけど、博愛方面であればかなり良いと思いますけどね。執着ってダメでしょう?

粛々と自分の置かれた状況で、無理なく、育ててくれた恩返しを当たり前に普通にする。孫の顔を見せていない。結婚してない私。

ソコは自分の人生。

親の犠牲になる気は全くなかったし、それが親不幸だと思ったことは1度もありません。今から母に頼まれたものを買ってホームに届けます。

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