競争心がないんで、わたくしはライバルとなる人がいません。高校生のとき、バスケットボールの体育の授業で、ボールを奪い合う友人の姿をみて、「オレにはできないナ・・・」と直感しました。
張り合うことが昔から苦手です。
公共放送で名作ドラマを制作していた演出家の和田勉さんは、「女優は絶頂期の10年があるから続けられるのだ・・・」とおっしゃっていました。
20歳代のころのわたくしにはよくわからなかった。
人気女優さんは、いつまでも人気があって、いつものように淡々と演技をしているのだと思っていたからです。
年を重ねると、体調や精神状態によって、好調な順風満帆な時期と、何をやってもうまくいかない停滞期があることを知る。
演出家の和田勉さんが言いたかったことは、絶頂期の10年を自分のライバルのようにして演技のしのぎを削る女優こそ本物の女優として生きながらえる、と言いたかったのだと思うのです。
ソー、自分をライバルにする、ということ。
わたくしは28歳で「これから年を取るのを止めよう・・・」と思いました。28歳のまま生きてゆこうと28歳でおもった。
理由はありません。
世の風潮。エスカレーターに乗ってゆく人生はしたくなかった。
もちろん、年は取ります。アンチエイジングという自然の流れに反する苦しいみじめな生き方がしたかったのではありません。
28歳のいまの自分をライバルのようにして、これから生きてゆこうと決めたのです。当時は「ライバルのようにして」いるつもりはなかったけれど、いまはソーだったとわかる。
そして、32年。
28歳のころのように、新しい険しい茨の道を探し歩いている。少なくとも守りで固めた穏便な生き方はしていない。
勢いで周囲を巻き込みながら浮き上がる感覚。
28歳の頃のはじけた、突拍子のない冒険心はいまも忘れず、これからも突き進みたいと考えています。
28歳の自分にいまの自分が負けるわけにはいかない。
振り返ると、28歳のわたくしは19歳の自分自身への誓いとつながっています。
19歳の受験競争のただなかで、「ひとを殺(あや)めない人生を生きよう」と決めました。生きるための思想のようなものがないと生きる意味はないと考えていたからです。
ひとを殺(あや)めない人生は、殺人犯にならない人生ではありません。
ドーしても世界の全体幸福といったことを考えずにいられなかった。べ兵連の吉川勇一さんの事務所にお邪魔したことが1度だけあるけれど、つながっていた。
岡本太郎さんでもつながっていました。19歳のころ「今日の芸術」を読んで嘘偽りのない大人をはじめてしった。
親の生き方とはまったくちがう。
エスカレーターに乗ってゆく人生の人にとってはドーでも良いことなのだとおもいます。親戚などからまったく評価されない人生でした。
でも、いまがいちばん幸せだ!
とおもいながら、この10年あまりを生きています。28歳のころや19歳のころには想像もできなかったような粛々とした生き方。でも、ライバル心はかわらない。
あなたは誰がライバルですか?
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