子供の頃の「ライス」は稀で、レストランで平らな皿に盛られ、フォークで食べるものだった。2022年では、中華料理店のアジア系の店員へも「ライスお願いします。」と注文する。
日曜日の夕方、「孤独のグルメ」実写版テレビをなにげに見ていると、 中華料理店のアジア系の店員へ 井の頭氏が、突然に、 「ライスお願いします。」と注文していて、フト思った事。
子供の頃の「稀なごはん」=「ライス」は、欧米系のみ承認されていた。今では、普通の、特別ではない外食店で、欧米系でもない店で、降格してしまって「ライス」と普通に言っている。
作り方が違うとか、米の種類が違うという事ではなく、米を食べれる状態にし、今まさに食べる目の前の米は、子供の頃は必ず「ごはん」だった。だけだった。
ライスの作り方手順で自宅でライスを作ったとしよう。その家族の子供が、お代わりしたい時、親に何というか?
「ライスお代わり!」とは言わないような気がする。言ったとすると、一瞬沈黙の空気になるのではないだろうか?
子供ではなくとも、夫婦の1方が相棒に頼む時にも、 炊き方が違うとか、米の種類が違う 、定義上の確かなライスであっても、平らな皿に盛られていようとも「ごはんお代わり!」という気がする。
自宅のライスはやっぱり、「ごはんお代わり!」になるのだ。
なぜ? お店になる途端「ごはん」は「ライス」と呼ばれ、注文するときにも「ごはん」ではなく「ライス」なのだろうか?
たぶん、最初は「ごはん」しかなかったのだ。さらに、店では、ごはん単品は無料だったに違いない。(個人的主観的な推測の域をでません、悪しからず)
今ほどに外食産業が流行っていなかった時点で、「ごはんを商品にして代金を頂くにはどうしたらよいか?」と考えた人がいた、たぶん。
そのために最初に使った手法は「舶来のごはんを商品化しようか・・・」となったのだと想像する。
なぜならば、ごはんは商品にするほどの大きな価値はなく、どの家庭でも毎日炊いている、水や空気に近いものだった。原価は1膳数円のものだった。
その、ご家庭でおなじみの、決して珍しくない平民程度の「ごはん」に数十円の価格を設定する為には、「ごはんとは別物」なエリート感が必要だった。
呼び方を変えると、お金を支払う気分にならないか?
「ライス」の誕生である。(個人的は私見です)
逆に、西欧料理ではごはんを単品として提供する以外の方法がなかった。料理だけの料金で提供するよりも、ごはん代金があると、料理代金が安いように思える。というトリックを使ったのかもしれない。
なぜ? お店になる途端 「ごはん」は「ライス」と呼ばれ、注文するときにも「ごはん」ではなく「ライス」なのだろうか?
なぜ?「ラーメンごはん」は皆無で「ラーメンライス」なのか?という問いに変えても良い。
その回答は、ごはんとの差別化を図り、調理とは言えない程度の、お茶を入れるのと大差のない手間いらず、決して料理ですドーゾとは、おいそれと言えなかった「ごはん」を、よそ行きの別物の価値あるものにイメージアップし、調理代金上乗せで料金を頂く為。です。(私見です)
原価20~30円のごはんを100~200円で売る為には、「ごはん」ではなく必ず、「ライス」なのである。
カレーライスは外食でも自宅でも・・・ライスなのは、しっかり調理が必要で、ごはん単品ではなく、一体型の料理だからです。
皿にルーが余って、ライスを足す場合に、家庭で「ライスお代わり!」と言うでしょうか?「ごはん足して!」と自宅であれば言うことでしょう。差別化戦略を使う意味が自宅にはないからです。
ちなみに、朝食をパンから玄米おかゆに変えました、私元旦から。カロリーが低く、腹持ちのよい米。白米より栄養がありかつカロリーが低いと聞き実践中ですが、ダイエット効果も確かなようです。
2011年以降から本州産を嫌って、佐渡産の玄米を精米して常食するようになりました。無洗米は買ったことがありません。ちなみに、無洗米には2種類あります。
あらかじめ洗ってから乾燥させた無洗米と、米の周囲を大きく削り取る事で洗わなくて済む無洗米。さらに細かく分類する事があるようですが、お米屋さんから聞いたお話しです。
私の場合は、ミネラルや繊維などの栄養素は米の芯より端にあると考えているので、玄米乃至胚芽米にして食べています。
自宅に精米機があると、金芽米=胚芽米を自宅で簡単に玄米から精米できます。 玄米に抵抗感のある方なら、まず玄米を購入し精米機で胚芽米を食べることをお勧めします!
コメント