いつもの安定は実は不安定なのかもしれない

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あなたの通勤電車は橋を渡る経路がありますか?

埼玉方面から東京方面にお勤めの方は必ず橋を渡って会社にたどり着きます。私は必ず、荒川橋梁(あらかわきょうりょう)を渡ります。

電車内では目を瞑って瞑想しながらこの荒川橋梁を通り過ぎる日もあるし、読書していて目が疲れたなという瞬間に橋を渡るときには川の水面や遠景の風景を見ながら目を休めて天気を確認することもあります。

何十年もお世話になってきたこの橋の名前を荒川橋梁(あらかわきょうりょう)と知ったのはさっきです。

「この橋が壊れたら会社にもゆけないし、会社から自宅にも帰れないんだよな~」という事を最近通過しながら思う事があります。

なぜか?というと最近ふと、地球の外側に意識を置いて、そこから地球を眺める、というようことをしていました。

毎日同じように繰り返し繰り返し朝起きて食べて自転車をこぎ電車に乗り、仕事をしてあーでもないコーでもない、コーですよ、どーですね・・・と働いて、挨拶して退社してまた、この荒川橋梁を渡って自宅に帰る繰り返しの感覚、ループしている感覚と、地球の外側から地球を眺める眼差しの感覚を比較していたのです。

だいたい、同じことを繰り返します、生活って日常って。ハプニングはあるし体調も変わるし感情も変わるけれど、大きなくくりで捉えると同じ事を飽きもせず、ときには飽きながらも、繰り返す生活。

テーラワーダ仏教のアルボムッレ・スマナサーラ長老はどこかでおっしゃっていました。「年末の大掃除をして部屋を綺麗にする。床も雑巾をかけてさっぱりきれいにした。その後ろからホコリは床面に落ちいてゆく。」といった意味内容のこと。

希望を持って何かを精一杯成し遂げても、また繰り返すはめになる、そんな世界に人間は生きている、と私は解釈しました。

地球というか宇宙って今膨張期にあるのが現実らしいです。科学者の妄想ではないらしい。広がっている宇宙の中に地球はあって、回転しながら動いています、ココも事実。

電車に乗ろうとすると概ねいつもの定刻に乗り合い電車は最寄り駅に停車して、だいたいいつもの様子の社内に乗る。でも、宇宙は膨張していて地球も回転しているっていうのも現実。

宇宙は膨張していて地球も回転しているその地球の一部に日本の国土はあり、その中の芥子粒のようなところに最寄り駅があって、小さな小さな空間で移動している、そんな感覚で日常を観察していました。

大状況としてはダイナミックに空間は動き膨張し、小さな小さな地球という惑星は回転して流れ動いている。地球の全体像を見渡す感覚で眺めると、いかに小さな場所で生き、移動し何事かをしている。非常に小さい、限りなく小さな営みです。

現実の実際の宇宙の中で地球も動き回転中で、荒川橋梁が壊れずに橋として私たちの移動を守ってくれているけれど、壊れる事はいとも簡単でもあるんだよな、と思いました。

大状況は動いて動いているのけれど、いつも安定してとどまっているような感覚で私は普段生きています。橋はいつもと同じ場所にあるって信じることは実は危うい希望なのかもしれません。

何かの神経症に近寄ったんではなく、日常で当たり前としてしまっていることの危うさを知っておくって、慌てないために必要な冷静な感覚だと私は思います。

だからって怖いとは思わないけれど、ほんの数十センチだけどこかの間がずれればこの橋は役に立たなくなって、当たり前に人々を移動させていた事は出来なくなる。

ほんの数十センチだけどこかの間がずれることを異常でとんでもないと思いことのほうが普通なんでしょうけれど、いつ何時壊れても当たり前なのかもしれない、と思う様に私は変わりました少しだけ。

実に脆い危うい日常を生きている、のかもしれない、私たち全員が。

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