自分の管轄外の事は関わらずに、「ほっておけ!」と度々、スマナサーラ長老はおっしゃっています。
俗世間の私には全くわからない、比丘たちを指導している状況を、何かのお話しの中で、スマナサーラ長老は、「ほっておけ」と比丘たち言うのだが、ソレがなかなかうまく行かない、といった内容でお話しされているのを興味深く拝聴したことが私にはあります。
思えば、自分事と管轄外の事、という区分をどのようにしたら良いのか?
ということを世間で教わることはありません。
たとえば、「政治に無関心」という世の風潮を批判的にいう事があって、でも、トータルで一市民が国家の政治にすべからく責任がある、と言われることもない。どの程度関心を持てば良いのか?という線引きをしようとした人はいない、気づかない。
そう言う私は、ある時期には、世界のすべてにすべからく責任を持ちたい、と思っていた時期はあります。少し話しが変わります。
会社で働いていると、どこまでが自分の仕事の範囲で、どこからが周囲の同僚の仕事の範囲で、どこからは上司の聖域なのか?ということを社員教育のようなOJTのような場面で学ぶことはホボありません。
なぜならば、「自分事と管轄外」という線引きを意識しながら、仕事をしている人がホボいないからです。
経営者や起業家であれば、「管轄外は1つもない。」と思っているハズです。
なので、起業間もない会社で雇われる社員は、「自分事と管轄外」といった発想は封印して、社長や起業家同様に働く、働かされます、たぶん。
その一方で、雇われる前提の人々がいます。サラリーマンになって働くと決めている方々。
サラリーマンはむしろ、なるべくすべき事を少なくしてやっているフリをして、管轄外の領域を増やしたい。というのが、サラリーマンの偽らざる本音だと私は思います。
楽をしたいからこそ、高学歴のライセンスを事前に取得したい、というのが表向きには決して言われていない本音なのだと私は考えています。
社会人になってからアドパンテージを携えてラクに生きたい、だからこその受験。いまは辛抱しておく。
また話しが変わります。
昨日、年上の同僚が退職しました。会社の方針や私の新人教育での内容を陰でコソコソと捏造して身勝手に仕事をしてきた方。自分のやり方を新人に教える。新人を攪乱させ困らせる。
何度か対立し、「それはおかしい、コレが正しい・・・」といったやり取りをしてきています。一時は売ってきたケンカに乗っかるようにしていた時期はあります。
けれど、スマナサーラ長老の「ほっておけ!」という言葉を知り、自分なりに職場の状況に置き換えて考え、ほっておく事を取りこんで関係性を修正しました。
何のことはありません。
エゴ丸出しの勝手な振る舞いに反応しない事にしたのです。意図的に挑発してくる彼の感情もわかるし、身勝手なのだから注意したい気持ちが高まる自分の感情のわかる。
けれど、「言ってもムダ」ともわかっている。「ほっておく」のがベスト。
新人は状況を知らないから、ソコを突いて新人に自分流を教え込む。新しい社員に対して、誤ったことと正しいことをあらためて私が都度説明し、了解を得てきたので事は重大ではない。
この「ほっておく」は難易度は高い。
注意したり、訂正することは聴く耳のある人にはあり得るリアクションですが、そうではない相手には言って良いことはなく、じっと見過ごす以外に方法はありません。
自分の感情を抑える。その感情の火に油を注ぐようにして悪さをしでかす。
だからといって、その人の陰口を言うと私の負け。
その彼は昨日退職しました。
何かに勝った、爽快な気分の私がありました。ほんの少し努力して、感情ではなく理性で対応できたからなのだと思っています。
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