会社が終わってから、くつろぐ時間にもう一つの仕事をしてゆくのがブログの収益化です。ブログに限らず副業を立てる事も同じ。
もう1つアルバイトや何か雇われる仕事を追加する事と今回お話しすることは意味が違います。
自分でブログを立ち上げて記事を書く事と、ライター募集の求人に応募して記事を書く事は、一見すると記事を書く行為が似ているので仕事の内容も意味も同じように思う人は多いでしょう。
この2つが決定的に違うのは、何を誰にどのように書くかを考えて自分で決めて書く記事は、言われた要望に応えて記事を書くことより数段難しく、頭も数倍数十倍使う点で質が違うのです。
普通のサラリーマンの仕事でかなり疲れていながら、その数倍数十倍思考しなければならない理由はあるのです。少し話しが変わります。
今の政治状況の延長線にはたぶん、年金が実質廃止されるんですよ。なぜならば、社会保障制度の目的は無くなったからです。
日本の社会保障制度(年金制度やら健康保険制度)は戦後に、地方農村の若者を、都市の急成長している企業の労働者として大家族から引きはがすために作られました。異論はあるでしょうけれど、高齢者の為や弱者救済というのは表向きだと私は史実によって判断しています。
そして、地方から都市への人材流出作戦は大成功。都市に田舎家親よりおいしい飴を置いた。大家族の跡取りは社会保障制度の誘惑に負けた。そして都市部への人口拡大は止まらない。地方から都市への民族大移動の目的は達成されています。
社会保障制度も年金制度もどんどんと縮小されてゆくんですよ。このままだと。飴の役目は終わったからです。今の体制が大きく変わるとソーでもない日本になる可能性はあると思いますが、今後も2022年の体制のまま未来は続くと私は予測しています。大きな気づきは日本では得られない。
社会保障制度はどんどんと縮小されて、現在時点でも高齢者の交通機関の無料パスを廃止している自治体が増えています。消費税の表向きの目的(=社会保障制度のためだけの租税=飴)は縮小されて本来の目的のために使われて久しい。
コーした世の中で年金では老後を生き抜けないだろう、と推測することはクールな判断だと私は思います。少なくともあなたの親の世代のような老後は待っていません。なので、自分で稼ぐ技術を身につける以外に老後を生きてゆく方法はあまりない、と思った方が賢明です。
なので、楽しみの音楽やテレビやゲームなどを消費者として利用するのをやめます。あるいは減らす。
私はテレビのお笑い系の番組が好きで会社から帰宅しくつろぐ時はホボテレビの視聴者=消費者になってきました。
シャワー後や風呂上がりの一杯も欠かせないタイプ、でした。
けれども、最近は意識を変えテレビをつけません。内容もつまらないしね。偏り過ぎていて事実ではないことが事実のようにされてしまっています。天気予報くらいは見ます。
昨年の5月であれば、平日の帰宅途中で一杯やるのが習慣で、昨年は平日にブログ記事を作成していなかった。
けれど、今年の元旦に意を決してサイトに毎日投稿しています。アルコールが入ると集中できないので週末以外の晩酌をやめました。
で、これまで買ってきたアフィリエイトだったり能率向上系の本を読む。本を読む人はかなり少ないですけど、毎日読書を欠かせない。
この記事は、通勤の電車の中でスマホのメモ機能に書き、隙間時間につなげました。
あなたのスマホのメモに記事を書き、Evernoteにコピペし、自宅のパソコンにEvernoteから貼り付ければクラウドサービス無し課金無しです、便利です。自分宛てにメールでもいいんです。
途中で下車して打ち切り、横断歩道信号待ちで少し加筆。
退社後電車が混んで書けない日は、駅から自宅までの信号待ちで自転車に乗りながら記事を加筆。何度も隙間時間だけ。でも案外書けます。
スマホで買いたいものをネットで検索すれば消費にいずれなるけれど、文章を書くと情報発信する側になり、立ち位置は反対側になる。
ハタから見れば、スマホを触る仕草はほぼ同じです。
ですが、価値を消費するのと、価値を生産することは全く意味も意義も違うのです。
お金を支払う事と稼ぐ事。
と言っても良いし、消費と投資でも良い。
投資とは、将来的に儲けるあるいは価値を生み出す目的で今消費する事。
ブログ記事を書く事は消費ではなくて明らかな生産寄りです。生産と言っても良い。
作文は時間を投資する、消費するけれど、真っ当な有益な情報発信源を生産している。
消費から生産に視点が変わると物事や世の中への眼差しは能動的に変わります。
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