横尾忠則の挑戦
2021年から70歳定年が企業の努力義務となった。今年、2021年85歳で現役の画家である横尾忠則さんに東洋経済記者がこの定年延長の社会にあって、先駆けのひととしてインタビューしている。
私は大学で油彩を部活で描いていました。下手な横好き。横尾忠則さんの絵画展は1980年代の社会現象の1つでした。
日本のイラストレーターの先駆けであった横尾忠則さんは、ピカソの絵を見て突然に画家に転身。映画の主役を演じたり、三島由紀夫さんと親交のあった売れっ子の横尾忠則は、売れるか知れない画家を志したのです。
著書も多数。あの世をテーマにした著述。群馬県にある釈迦の霊泉という温泉に宿泊したことが取りあげられていて、私も興味が湧いて宿泊したことがある。
原爆後遺症のひとが治療で入浴した写真が旅館の館内に展示してある。当日は、頭髪の抜けた女性が階段ですれ違いました。
ガンの治療のためなのでしょう。知る人ぞ知る温泉旅館という感じ。横尾忠則さんの著書にある通り、女将さんには霊感があると私も感じました。
個室にはテレビなどはなく、夜中には近くの川の流れる音が印象に残ります。もっとも驚いたのは、源泉の臭いが乳くさい。
牛乳のような臭いが館内で感じられたこと。もちろん牛乳を使てはいない。温泉なのか源水が乳の臭いでした。
話しを戻します。
横尾忠則さんは先ほどお話しした画家になるときに画家宣言をしています。そして、70歳にして隠居宣言をしたのだそう。
70歳で体調に大きな変調があったから。それまでのようには、生き方も仕事も立ち行かなくなり、ムダな時間をなくした。
嫌いなことは一切しない。好きな事だけをする。
コレが横尾忠則さんの隠居宣言。
衰えで新しいことをする
老いて体が衰えると、新しいことをソコから始めるという発想はなかなか湧かないもの。横尾忠則さんの考え方は実にスマート。
肉体の衰えについては深刻にならない。
だって、悪い点はないんだから。
衰えたと思うこと自体が悪い点。
いつまでも若いと思って、以前と同じやり方を踏襲すると失敗する。その時の肉体に応じた行動は、これまで慣れ親しんだ行動ではなく全く新しい行動になる。
その新しい、取るべき行動がもっともふさわしい行動。
衰えの自覚を悲しいような感情に流されることなく、自然に受け止めてみる。その変化で次の変化を生み出す。
孤独を遊ぶ
横尾忠則さんは結婚されお子様が2人。たぶんお孫さんのいらっしゃる。だから孤独とはいえない気もする。
私は独身で独居。電気照明の明かりの無い部屋でスイッチを入れるのがわびしい、という人がいるけれど、私はソー思ったことは1度もない。
さみしさがない。やることがあると寂しがっている暇がない。
家族でかなり苦労してきているからなのか。ひとりであることの気楽さ、解放感がたまらなく好き。健康なのはその一因だとは思う。
若いころ、40歳前までは、さみしい時間はあった。人と会話することに楽しみを見出すことよりも、本を読んだり文章を書くきとのほうが楽しいと気づいてからは、むしろ孤独サイコーという気分になりました。
適度に異性にもモテているから満たされ感もあるからなのでしょう。40歳を過ぎてから初めてファッション、コーディネートについて気を使うようにしました。
そこから社会の無名性のすれ違いでの人当たり感が良くなった。一部の社会適応性が高まり、その分、孤独であることの満足感が増した。
社会適応性と孤独の耐力は比例する。
ステイ アトリエ
ステイ アット ホーム。が正しい英語なんだそう。ステイホームが強いられた2020年。それから1年。2021年8月。
私は、気をつけながら外出するのが習慣になりました。群れの中に入ることはせず、独歩。散策。このブログ記事を書くためにステイ自宅の時間もしっかり確保。
アトリエですよね。絵描きには2種類います。構想を練って、下絵を描いて、アトリエで制作する画家。もう一方は野外で描く画家。
文化勲章を受章した中川一政さんは、もっぱら野外で山を現地で観ながら描いた。日曜画家もどこかの公園で描いていたり。
アトリエって普通ありません。大学で絵を描いていたときの絵画の先生のお宅には天井の高いアトリエがありました。大学の先輩の自宅に社会人になってからお邪魔すると、そこにもアトリエ。
絵をやりたかった人はこの際、アトリエを作ってみる。
コロナ渦に、今まで取り組めなかったことをやってみる。
「これぞ、コロナ渦の効用です。」と横尾忠則さんはおっしゃります。
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