ジャズ喫茶ベイシー

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ローテクもハイテクも実は変わらない

先日ミニシアターで見た映画「ジャズ喫茶ベイシー」について少し。

無くなりつつある音響技術と機器の粋にこだわり、徹底した音響の再生によって世界的に稀な、演奏者本人もが集うジャズ喫茶店ベイシーの菅原正二さんを追うドキュメンタリー映画。

今は製造されていないアナログ機器を駆使し、目の前で人が演奏しているかのごとき音を再現する。レコード・スピーカー・アンプ・針にとことん。

一種のなつかしさを求めた映画。

今は製造されていないアナログ機器は100年前であれば最先端のテクノロジー。今失うことに昔を懐かしむことは、あって良いけれど、何か本質を欠いている気がした。

今日のテクノロジーなり良い技術・感性・文化の欠片を100年後に懐かしむひとはいると想像できるからだ。

老いていい顔

なぜこの映画を見たいと思ったかというと、ポスターというか写真の菅原正二さんの顔に魅力を感じたからです。

若いころの菅原さんの写真が映画に映されているけれど、昨今の顔の方がかっこよい。若いころの菅原さんの顔には、若かりし頃のタモリさんが重なる。

野心・野望・不満・元気盛ん。

一人芸人として一世を風靡した若きタモリさんと若かりし 菅原正二さん がどこか似ている。

そして、老けた今の顔が断然いい。お二方ともに今の顔が断然だなと思う。

標準なヒトとは何が違うのか?

色気。自然な抜け、脱力。

老いてなお、諦めの抜け感と共に残る色気で老け顔に魅力がある。枯れていない。清水がちょろちょろ流れている。

最高の音

ジャズ喫茶ベイシーという映画でもっとも音が印象的だったのは蒸気機関車の汽笛の音。音楽に全く無知の私ですが、汽笛の音には音の要素のすべてが詰まっているのでしょう。

音の高低・幅・ビブラートの振動感・抜け・音量の大きさ。

自然音としては雷鳴。

映画館のスピーカーを通しているので、ジャズ喫茶ベイシーで聞く音とはだいぶ違いはあるだろう。

けれど、人工の蒸気機関車の汽笛の音と自然界の雷の音。

この2つを聞くだけでも価値がある。

人に人は集まる

何かに挫折してなお、別な何かに頑張る人には魅力を感じます。

菅原正二さんを良くは知らないけれど、ジャズのドラマーをされ、肺病で故郷に帰られてから、あこがれのジャズメン、ベイシーの名をとった喫茶店を営む。

その憧れのベイシーご本人が一関の田舎の喫茶店を知って訪れた。こうした物語性からも並大抵ではないと感じる。

憧れと追求する貪欲さ。

コロナ渦で見たかった映画。

無表情な顔漂う今の時代。

表情で語れるひとがいなくなった。

俳優でもないくせに、その失った時代の無くなったものを、しっかり知っている顔。

菅原正二さんの顔が観たくてこの映画を見たのです。

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