欧米メディアにはバイアスがあり、アルジャジーラにもバイアスがある、とスマナサーラ長老はおっしゃっています。今回の戦争あるいは紛争の以前でのお言葉です。ニュース報道といっても事実に味付けが加えられている。
バイアスというのは、無色透明なメガネではなく、色眼鏡を通りて観ることで、なにがしかの偏見がある、ということ。
ヴィパッサナー瞑想をしているからなのか、個人的なメディアへの私のバイアスなのか、わかりませんが、昨今のマスメディアの解釈からのベクトル、向かいたい論説が一方的で極端に映ります。
日本での情報に関する自由度は国際的にみてランキングを落としていることも頷ける、1つの証拠のようにして。
若いころの私は、仏教なども知らない時点で、「味方を作ることが敵を作る」と考えていました。個人の人生に置き換えると、味方とは家族です。
家族を作ると、家族以外の、敵ではありませんが、味方と異なる人を作ることになる、と考えていたのです。
なぜ?そんなことを考えていたか?
と言えば、結婚しない宗教で、本気で結婚しない人がいる、その理由を独断で勝手に知りたいと考えたかったからです。
初期仏教に限ることなく、キリスト教の本格派は結婚しない。
家族を得て初めて社会人としては一人前のように思われている世の中で、ひとりで、そんなことを考えていました。
話しが変わります。
昨日の国会中継では、革新派方面の議員さん。私は信頼が寄せられると思ってきた方。(今後も注目してゆきます、良識があるから興味を持って聞きました。)
今回の戦争。ひとり(大国の大統領)を名指しして悪者であることを既成の前提として語っていました。その悪人にお金を工面する事への批判的な意見。非難の矛先は与党の元首相へのもの。
発言の自由はあって良いけれど、ソレに乗っかるワケにはいかない。国民として。
敵方味方という考え方ってホントに正しいんでしょうか?
初期仏教のテーラワーダ仏教の慈悲の瞑想のフルバージョンには、「無始の輪廻にあって、自分の親でなかった人はいない。兄弟姉妹でなかったひとはいない。子でなかったひとはいない。・・」という内容の言葉があります。
にわかには、私には良くわかりません。でも真実だと感じます。
紛争地で迫害されてばかりの弱い市民の惨状には心が痛い。
わたくしが、ソコに生まれ育ち、迫害されていたかもしれないと自分事にしてみると、あってはならないと思う。
何かできることはしたい。
ソコから先で、メディアの論調に乗っかることはできません。
プーチンさんや安部元首相にも幸せになって頂きたい。嫌いな人々も幸せでありますように、と。
そして、人間に限ることなく、生きとし生けるものが幸せでありますように、と瞑想する以外の選択肢が、今の私にはありません。
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