ブッダの贈り物 6

ヴィパッサナー

テーラワーダ仏教協会の瞑想会の感想などを綴っています。参加者は若い方からシニア前後の男女で偏った雰囲気はありません。普通の方が参加できる瞑想会なのだと私は感じました。それでは、続きです、今回で瞑想会の感想は完結です。

2時間半程度のご法話の後、立つ瞑想、歩く瞑想、座る瞑想のテストがありました。(テストを始めますということはありません。させてから仕方を見てアドバイスする、という程度です)個人的には普通に出来たという感覚。

座る瞑想は難易度が高く、座る瞑想ができない人は、歩く瞑想ができるようになるとできるようになると長老はおっしゃっていました。

時間の無い人がほとんどだと思いますが、歩く瞑想は1時間すると心の成長が促されます。30分でも45分でもなく60分以上するのが歩く瞑想です。

私は、歩く瞑想をしていると左のこめかみがピクピクすることがあり、その効果なのかはわかりませんが、目が良くなりました。

中学生から外斜視という病気があり、手術も断ってきているので、目が疲れます。瞑想することで、心の深い部分が溶解しているのかもしれません。

ヴィパッサナー瞑想は痴呆症の予防効果や痴呆症にならない、とスマナサーラ長老は明言しているので、シニアの方ならば、こうした副効果も含めてお勧めしたいと私は思います。

痴呆症になぜならないのか?

という理由は推測ですが、痴呆症を発症するのとは別な部分の脳の回路を活性化するのが瞑想であり、そこを活発にするからなのだと私は今のところは考えています。話しが脱線しました、戻します。

座る瞑想はもっとできると思っていたがあまり出来は良くはない、と長老はおっしゃっていました。歩く瞑想は、もっと繊細に観察すること、と言われました。

youtubeでの解説を見て勉強して改善したいと思います。

瞑想テストの前に、長老はこんな問いを投げかけました。

「鏡には何が映っているのか?」

私は、室内の鏡をじっと見つめて考えました。「鏡に映っているのは何か?」「何が鏡に映っているのか?」

室内の風景といった事ではなくって、哲学のような本質論だということはわかりました。

しばしの沈黙の後に、「何も映ってはいません。あなたの妄想で映っているように見えているだけです。」

「まっ暗闇に鏡を置くと、鏡には何も映りませんね。」とおっしゃりました。自我を無くすと、鏡には何も見えないことがわかる、という事なのでしょう。

今の私にはわかったようで、わかりません。

人間の脳には、実は、目の映像を上下反転させて認識している、と脳科学の本で読んだことを思い出していました。

眼球は凸レンズです。なので、目の前に人が立っている様は上が足で下が頭になっています。その映像を脳がさかさまにして認識しているのです。

鏡には電磁波が反射しているハズです。表面で電磁波を反射していることを正確に認識すると、今とは全く違ったように見える気はします。

瞑想会では、何か質問があると回答を得ることができます。瞑想に関することや書籍で疑問に思ったことなどです。

女性の方々が積極的に質問されていました。瞑想実践するとわかるようなことを概念(妄想)で質問されている方が多い印象でした。

私は、全く質問しなかったけれど、質問の回答を得ています。長老は参加者に適切なお話しをされる、と主催者からメールを頂いていたので、納得でした。今回参加させて頂いた収穫です。

瞑想会の質疑応答が終わり、慈しみの瞑想で締めくくると、開催時と同じように、床に額を当てて、腰を上げるように礼拝されている方々を前に見ました。

戦争が起こるかもしれない昨今、新型コロナ渦にあって、2022年2月現在、世界にそう多くはない聖者、賢者が御座す(おわす)。

出世間(俗世間ではなく出世間にあること)に御座す(おわす)方をまじかにお会いし心を通わすことができた。スマナサーラ長老の体調は決して良くはないと私は直感しました。

だから、コロナ渦でもある程度強行したいところはあったように感じました。

床に額を当てて最上の尊敬の念をもって祈念されている方々は、そののちに悲しむのだろうか?

この方々は、私が今回体験した以上に、直感で長老から教えを得ているのだと思います。

私は、スマナサーラ長老を導いた教えこそ、ブッダの教えの奇跡だと感じました。2500年以上の風雪に耐えてなお、現在にしっかりと教えが伝わった強さ。

権力や暴力や侵略によらず、慈悲をもって、決して対決せず、敵を作らない教えが伝わったことは確かに奇跡だと思います。

スマナサーラ長老に重なるようにして私の前で礼拝されている熱心な実践者の有様を目の前にして、その光景の現実こそが仏陀の奇跡なのだと直感したのです。

ブッダこその仏教。

2500年以上前に確かに教えたことの強さが証明されている、と。それを私は目撃したのだと。

経典そのものを深く学ばなければと。

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