今年の元旦から当ブログを毎日書いています。当ブログ以外にもう1つ実は運営しています。同じく毎日書いています。
公開する時刻は一定していないけれど、毎日更新を日課として、そろそろ4か月が過ぎようとしています。
数年前よりもブログのGoogleでの評価は、ボリュームより質に変わったように感じることがあります。
Googleアナリティクスの評価とASPの評価には大きな違いがあって、Googleの評価は数年前より厳しい感じがしているけれど、ASPの訪問者数やクリック数は個人的にはあまり変わらない印象です。
どのように続けているのか?
というと、あまり準備はしていません。その時勝負、という感じ。予めため置いた記事を公開するのではなく、毎日1記事を書くことを自らに強制して書いています。
なぜ?ブログを書いているか?
意義とか意味というよりも、毎日書くことが責務のような感じです。しいて言うと、続けることに意義があり意味がある。
何も頭に浮かばない。アイデアが出ない。「もう書けないかな?疲れたな・・・」という日もあるけれど、そこから粘って、悶え苦しむようにして文を生み、形にしてゆく。
「読まれない記事には存在価値はない。」という有名ブロガーがいます。たぶん、定説になっているんでしょう。
わたくしもソー思っていました。
けれど、10年くらい前に立ち上げたエリア特化ブログの検索傾向をたまに見ると、ソーでもないかな?と考え方が変わってきました。
当時運営した時にはエリア特化でありながら、全く地域での集客に失敗していました。何年も放置しているそのエリア特化ブログが、ある地名での検索でヒットしている。そのエリアの検索で集客できるように変わっています。
駅や市の名で検索されて、やっとここにきてエリア特化ブログ化してきています。
何が言いたいのか?
というと、読まれない記事がいずれ読まれる記事に変ることもある、という事です。
性急に、短期視点で早合点するなかれ、という事。
興味関心は時代の流れで変わります。昔流行ったファッションがまた流行り出すようにして、見向きもされないテキストの需要が未来にないとは言えません。
地球の温暖化で、海の中を泳ぐ魚たちも生息範囲を変えてる。南にしかいなかった熱帯性の魚が海流の変化によって北に生息地を変えているようです。
ブログの記事は大海原に放たれた釣り糸のようなものです。記事を公開した直後には、そこには魚がいないので、全く釣れない。
けれど、何かの拍子で魚が食いつくことはある。テキストは同じなのに、読まれなかった記事が読まれる、ということはあります。
自分にとって価値のある事、意味のあることを書く。今は知られていないけれど、時流を読み人間の共通する何かをテーマとしていると、状況が変わり読まれてゆくことはあります。
時流に流されないから価値のある、普遍性が高い文章はあるのです。
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