ボッチは人間の完成形、でも、人は社会的な生き物です。

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今年最初の1週間が終わります。みなさんいかがお過ごしですか? 関東周辺でも雪になるかもと先日天気予報がありましたが、降らない感じですね。それでもかなり寒い日が続いています。

ココにきて、電車でもオフィスビル内でも大きな咳をしている人をよくみかけます。体調いかがですか?

瞑想というものはボッチでないとできません。瞑想会というものはあるけれど、自分に気づくには自分で気づくしかありません。先輩や師匠から教わりながらも、、孤独行。

ではあっても、人は社会の1員として生き、助けられながら生きています。人々との接点を受け入れてやさしく、ヨロシクに応え、人々がうれしくなるような対応、接し方、生き方をし、ひとり孤独に向き合う時間もつくる。

社会の中で失敗します。わたくしもソーです、毎日。「では、次はアーしようかな・・・・」と改善案を思いついて、次回の対策をしておく。社会生活での対応、接し方、生き方。すこし話がかわります。

1昨年から年賀状をこちらからは出さないように方針を変えました。いまの日常生活に関りがない、過去を懐かしむことはあまり良いことだと思わなくなったからです。

過去を捨てるホーが執着がなくって良いのだ、という方針転換です。この方針は日本の文化であったり、世界の文化から逸脱しているかもしれない。

FacebookもTwitterも住所や卒業した学校、電話番号など、過去の旧友とつながるようにと、うながす仕組みがウケている、とわたくしは考えています。

過去の関係を思い出すようにして、数十年ぶりでコンタクトをとる、なつかしい感動。わたくしは、コーしたものは不要だと、執着だから、と捨てたかった。

コトは年賀状1つですから、大したことでもありませんが。

毎年元旦めがけて準備万端で送っていた年賀状をやめた。それでも、年賀状を送ってよこす後輩が数人いて、その人にはお返しをしています。大学の部活の後輩の女性。付き合ったことは無し。

こどもも社会人なんですけれど、比較的近くに住んではいます。自宅に行き来はしません。その後輩から「なにかあったらいつでもいいので連絡してください。」と電話番号を書いた年賀状。

大学時代の部活の仲間とLineでつながっているので、参加を促すような内容。孤独な老人になってゆくわたくしへの提案のようにも読めました。

これまでに社会でつながってきた。よき関係性。いまだにつながろうとしてくれる友人知人がいる。うれしくないわけはない。

あれから40年ほど時間が経った。双方にいろいろなことがあったハズ。全然違う人間なんですけどねいまは。やっと遅まきながら返信する時間ができそうです。

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