この世の中でマッサージよりも気持ちが良いものはない、という人がいます。もちろん、誰のどのようなマッサージでもいいのではなく相性はあって、ドンピシャの手業有っての至極のリラクなのでしょう。
人間の本能には触れたい、触れられたい衝動はあるのだと感じます。赤ん坊や乳幼児は、大人に触れられることを前提として肌が柔らかい必要があるのかもしれません。
生まれたてだからこそ皮膚が固く頑強であれば、強固に守られるという選択ではなく、触ると気持ちが良いから大人が守ってくれるという手段を選んだのかもしれません。
リラクやマッサージというものは昭和の子供の頃にはあまり見かけたことはありませんでした。サウナというのも子供の頃はなかったと思います。按摩マッサージという分野のマッサージだけがあったように記憶します。
リラク、オイルマッサージ、セラピーとはどういうものなのでしょうか?
体の不調を改善することだけを目的とするのではなく、別な何かを無意識に求めている。たぶん、脳偏重のライフスタイルと関係があると思うことがあります。
身体を伴わない眼や耳やへの刺激ばかりが脳に入る情報が過剰になっている。思考や頭周辺の知覚による刺激だけで満ち、身体を疎かにしながらダイレクトに脳へ向かう。偏っているので快楽は苦痛化する。
そもそも人間の脳も身体の1部だったのに、脳こそ私、という脳第一義主義がまかり通って久しと感じます。身体全体からの様々な触覚が極端に不足している、のではないでしょうか?
子供が外でめっきり遊ばなくなった、遊べなくなった社会環境も関係しているのでしょうか。
今でも、リラクやマッサージというとまだまだ敷居は高く、日常的にしてあげたり、してもらうことは少ないのだと思います。ドーしてもマッサージ店という場があっての体感に閉じている。
実は大人であっても、乳幼児がダッコを親にせがむ様にして触れられたい、触れたいのではないでしょうか?
スポーツや運動をすれば体を使うし筋肉も動き血流も促されてソレで十分に良いように思うけれど、でも実は足りない。
決して変な意味ではなく、触れられるから気持ちが良い、触れるから気持ちが良い、という説明不要で単純で根源的な本能を満たす機会があまりにも枯渇している。
一時「山ガール」というアウトドア志向の若い女性のブームが話題になったのも、都会にはない根源的な身体感覚を取り戻したい本能がインの真逆のアウトを求めていたと思うのです。
人肌を求める、というと寂しさを紛らわしたい感情が見え隠れします。ソーではなくって、寂しさというものを埋め合わせるのではない何かがリラク、マッサージにはあるような気がします。
ガンの末期患者を向かい入れる終末医療のホスピスでもマッサージによって激痛を緩和する効果があることが報告されています。
皮膚の表面をなでるようにするだけで気持ちが良いというのは、誰でも知っているくせに、これまでほとんど放置してきた感覚です。たとえばご夫婦や恋人が日常的にリラクをし合う事はたぶんありませんでしょう?
身体を撫でられる刺激が脳に向かい、その感覚が気持ち良いと感じることは、脳第一義主義で得る刺激とは正反対の流れがあるように感じます。
右回転ばかりでよじれた紐を左回転で回して真っすぐに戻す。
そんな効果がリラク、オイルマッサージ、セラピーにはあるのだと感じます。あらゆる感覚知覚を離れてリセットするためには身体の感覚に素直になって裸の自分に戻る時間は有った方が良い。
これまでに気持ち良い感覚を味わった体験が無い方はいるでしょうか?
数回で当たらなくともきっと、あなたにとって極上のマッサージセラピストさんは近くのどこかに必ずいます。
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