19歳の頃、「どんな人生を生きようか?」と自らに問いていた時、「人を殺さないことにしよう。」と結論を出しました。
殺人しない、ということではなくって、その核心を拠り所に広げたい。その時の人生の最低限の目標であり目的としたのだと振り返ります。
そこから十年経たないうちに、マレーシアの森林破壊には日本が絡んでいることを知って現地の人々に会い、素人でしたが現状を調査したことがあるのも、19歳の時点での決意と無関係ではありません。
湾岸戦争当時、翌年には現地に行き、「人を殺さないことにしよう。」という決意が叶わなかった無念さを携えて危険を冒したことがあります。
その翌年にも北海道のダム建設問題では、参議院議員になられる前の茅野茂さんにアポなしでお話しを聞きに行った。
なぜ?アイヌに興味が湧いたのか?というと、沖縄は多少は報われてタレントも成功者が有名になってきた。けれど、未だにアイヌは・・・という思いがありました。
もちろん、戦争で資金を税金という形で納めて、殺す側にあったのが私です。アイヌ差別であれば、差別する側が私であり、差別される側、被害者がアイヌ。明治期以降の「アイヌモシリ」の歴史を調べるとわかります。
話しがかわります。新卒で入社した銀行系のシステム開発の会社の社風は心地よかった。上司が部下に「・・さん」と呼ぶ。バブルの前の昭和の時代には珍しかった。
もちろん、上司は部下に仕事の指示を出すけれど、言葉使いは穏やか。日本の文化は縦型で「目の前の人は自分の上なのか?下なのか?」ということがコミュニケーションの前提としてあります。
こうした上下関係が好きではありません。学校の部活に馴染めなかったのも年齢条件たった1つだけで絶対的な上下関係が下される理不尽さが馴染めない。
私は部下に丁寧語や尊敬語を使う変わった社員。ソコはずっと今まで変えてきていません。
たぶん、19歳の頃、「どんな人生を生きようか?」と自らに問いていた時、「人を殺さないことにしよう。」と結論を出し、為には、言葉使いが本質的に大切だと思ってきたからです。
日本は縦型社会なので、ソコで年下に敬語を使うと、年下からは尊敬されない。気の弱い年上、自信のない年上、へなちょこな非常識な大人、と思われることもある。
こうしたことは折り込み済み。
今働いている会社は、言葉を大事にしていません。余裕がない。年下には呼び捨てる。家来のように振舞う文化があります。
ソコでも、私は敬語を使う。仕事の振る舞い方に関しては指示をするけれど、雑談のような時には、上司でも部下でも年上でも年下でも同じスタンス。
呼び捨てる、命令する、部下を家来のように扱う社員からは異質、異物と思われているようです。たぶん、無言で非難されている気分になっているのでしょうね。
時には、年下の後輩から、呼び捨て、タメ口されます。良くあることです。だからって、怒る道理はありません。馬鹿にされても構わないと決めているからです。
19歳の頃、「どんな人生を生きようか?」と自らに問いていた時、「人を殺さないことにしよう。」と結論を出しました。
年下にバカにされようとも、平等な言葉使いをすると自分で決めたからです。
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