お釈迦様のご誕生をお祝いする日にお祭りをします。わたくしは参加したことはありません。テーラワーダ仏教協会のyoutubeで、五蘊の観察という歌と音楽があって、お祭りで流されていたその動画を見つけました。
この2年ほどで、テーラワーダ仏教協会のyoutube動画がドンドン更新され増えているので、探すのに少し苦労しました。
最近から、テーラワーダ仏教協会のyoutubeを見出した方は知らないかもしれない、けれど、いい音楽。日常的に室内に流すと良いように思いました。
2年位前にその音楽動画を見つけて、取りつかれたように聞いていた時期があります。その時には、この世の中の音楽で、もっとも落ち着けて、美しくて、優しくて、心地よく、根源、起源に迫る内容がある、一切ムダが無い。と感じていました。
テキストの内容がとてつもなく迫ってきて、音と絶妙にマッチしている。
生まれた時の現実と徐々に禅定を積み上げゆく状態は客観的であり、その状態遷移を、軽やかに美しく、優しく、心地よく奏で歌う。
何というんでしょうか?
音楽なんでしょうかね。五蘊の観察以外にもこうした奏で歌うものがあるかは知りません。
今少し調べると、イミー・ウーイ(Imee Ooi 黄慧音、1964年3月21日 – )というマレーシアのニューエイジ仏教音楽の第一人者の曲でした。
ご本人の歌っている様子を観ることができる動画はコチラ。黃慧音 – 慈经、心经、弥勒佛心咒 Imee Ooi – Chant of Metta, Heart Sutra & Maitreya Buddha Mantra
今までは、テーラワーダ仏教協会の関係者が作成した曲と歌なのかと勝手に思い込んでいました。マレーシアというとイスラム教を信ずる人々が多い国です。
今初めて、Imee Ooi 黄慧音さんを知ったのですが、経典を歌うというのとも、読経とも違う。志は想像する以外ないけれど、一般の方々に広めたい意志のようなものを感じます。
音って公害のようなところがありませんか?
自動車とか建築現場とかではなく、日常的な音楽の音の事。流行の歌手の歌っている映像をどこかの店のエスカレーターに乗っている時に見た事があります。
その歌声は聞こえてこないけれど、表情が強い。感情が激情している。激しい感じだけが伝わる。
当時、仏教との接点が無かった私ですが、叫んでいるような音楽ばかり流行っているのって、どうなのかな?と遠目で避けるように距離を置きたい心境がありました。
昭和の子供の頃の歌手って、ただ立っていて、今ではつまらない歌い方なんでしょうけれど、声帯を奏でるように歌っていたように、優雅で耽美なやわらかい感じがあった、と振り返ります。
もっと今よりやさしさがあったように思います。叫びのような吠えるような、怒るような歌詞も歌声もなかった。
流行るから作曲家も歌手も、求められる要望を意識して作るのだと私は思います。叫びのような吠えるような、怒るような歌詞と曲を歌う歌声ってうるさいだけだし、ちょっと滑稽。(個人的は感想です)
アジアの中の日本にあって、なにもかもが欧米方向を向いている。私もそうした中で生活しています。けれど、こんないまどきに、マレーシアにこんな美しい曲と歌声の方がいる。
「五蘊の観察」は、Imee Ooi 黄慧音さんの音楽に合わせて、経典を翻訳してテキスト編集したのだと推測します。間違っていたらごめんなさい。
翻訳は日本の方がされていますが、背景と文字の長さと間、音楽と歌の間とが絶妙で、とってもすばらしい。
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