席の譲り方、どうしてます?
何年も前に幡ヶ谷のゴータミー精舎でスマナサーラ長老から瞑想指導を受けた事があります。テーラワーダ上座部仏教でいう瞑想は、他の瞑想法とは違います。
何かの理想像や神とか光といったイメージを作りません。
人が使っている脳の回路。通常の思考回路ではない回路にアクセスする。そのために、貪瞋痴ではないこころの状態を作る。考えない瞑想。妄想を取り払う瞑想がヴィパッサナー瞑想です。
職場近くの書店で初めてスマナサーラ長老の書籍を知り、職場の近くに ゴータミー精舎 があることも知ります。
なかなか日にちが合わない。やっとの思いでご指導いただきました。それまでに色々な宗教の協会に足を運んだことがありますが、勧誘というものが一切ありません。
そもそも仏教は宗教ではない。初期仏教は宗教ではありません。認識論であり、確立された方法論。唯一の方法は、自分のこころを知って、通常の思考回路を抜け出す。
本著の紹介でした。
電車やバスの乗り合いで席を譲った経験はあると思います。「ココどうぞ。」と言ってきました私は。譲ろうとして断られること、ありますよね。
気まずくなることもたまにある。ありますよね。スマナサーラ長老は、「譲り方がまずい。」と言います。
「他のところに行くような感じで、何となくサッと立つのです。」
すると、その人は自分が席を譲られたとは気づかずに
「よかった。席がちょうど空いているから座ろう」と何とも思わずに座るのです、とスマナサーラ長老はおっしゃります。(面白いですね)
悟りをひらくこと以上に「人とうまく付き合う」ことはむずかしい
新卒で入社した会社の部長から、入社してほどなく何かを聞いた。すると「人を動かすことは一生難しい・・」と回答されたのを思い出します。
修行して心を完全に清らかにして解脱をすることよりも、人間とうまく付き合っていくことはむずかしい、とスマナサーラ長老はいいます。
人間関係で間違いがあっても、話が通じなくても、うまが合わなかったとしても、それほど気にする必要はありません。
私は、そもそも人に何かを頼んだことがありません。ソリが合わない人も職場にいるし、仕方がない。ケンカするのもバカらしいですし。
悟った人って全知全能のようなイメージが私にはあったけれど、ソーいうものなんだな~と少しホッとした気分になりました。
正しい人間関係とは?
「すぐれた人は、別に誰と付き合っても付き合わなくても、他人としゃべってもしゃべらなくても、あまり気にしないのです。だから、表面的にはけむたがられている人が多いのです。」
誰とでも仲良くできて、友達も多くて人気がある。内向的より外交的な人が優れている、という日本での価値観ってありますけど、ソーでもない、とスマナサーラ長老は言っています。
年下に舐められたり、集団内で相手にされなかったりというのは避けたい。サラリーマン社会にあっては、演じておく部分はあります。
けれど、40歳を過ぎた当たりから私は、ホボどーでもよくなり、自然でいいと思う事にしています。人気取りって人さみしさの裏返しです。
ひとりで持ちこたえられないから社交的な技を開発したのだと思います。瞑想してからは、全然ひとりで平気。
ひとりウキウキってラクですしね。持って生まれた性格の部分もあるでしょうけれど。
この世で一番可愛いのは誰?
スマナサーラ長老が、というか初期仏教では、慈しみの心を重要視しています。慈しみのこころを作ることができます。どなたでも。
わたくしは毎日「慈しみの瞑想」をしています。何か結果が明確に現れているのかは、さっぱりわかりません。
でも、人生順調です。
なぜか?
わからないけれど、トラブルにならない。イイ感じの人間関係が多いです。毎朝出勤の電車で瞑想する。
最近すこし感じていること。
最近、パンダに双子の赤ちゃんが誕生しましたよね。無条件で可愛いと私は思います。子猫でもいいんです。
自分の子供でもいい。
で、慈しみというのは、すごく嫌いな上司や顧客。ヘビとかゴキブリ。私が一番嫌いな存在。その存在を、パンダの赤ちゃんのように同様に「可愛い」と感じられること、だと思ったのです。
そのように感じてみようと思った。
すると、嫌いな人というか、関係性が難しい人に感じられた。スマナサーラ長老は、カーカーうるさいだけの自宅周辺のカラスの気持ちがわかる。
すごくおなかが空いている。食べ物はどこを探してもない、そうしようもないとカラスは鳴いている。そのカラスが可愛いし悲しくなるとスマナサーラ長老は言うのです。
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