少し古い未来学本ですが、リタイア以後の人生を考えるにあたり、未来の地域社会や国の在り様がどうなっているのか?が知りたくて手にとった本です。内田樹さんはレフト系の論者なのでしょうか。
わたくしはあまり存じ上げません。左方面も右方面も好きにはなれません。考え方が窮屈だから。内田樹、池田清彦、姜尚中、藻谷浩介、フレイディみかこなど多数の著者による内容です。
日本はデフレ以前からデフレっぽかった
本書のフレィディみかこさんの体験。彼女が25年前にイギリスで新聞社のアルバイトの面接で副所長から、「時給1,000円しか支払えないけどいい?」と言われた。
当時の フレィディみかこさん の感覚では、時給600円程度が相場。
そのアルバイトをやりながらイギリスで生活をしてみると、それなりにイギリスは日本よりも物価が高く、時給1,000円というのは高いほうでもないと知った、という。
失われた20年とか30年と言われることもある。デフレ脱却と言われることが多い日本。
そもそも、デフレ政策は、「持っている人々」にとっては資産が目減りしないので都合が良い。だとすれば、日本は25年前から、「すでに所有している人々」のための社会だと思わされてしまう、 フレィディみかこさん はという。
海外視点から日本をみると見えてくる実像というものがあります。デフレ脱却と言いながら、デフレ政策を堅持する。
若い女性に好かれない自治体は滅ぶ
リタイアしてどこに住むかということはかなり重要です。なんとなく安心で安全なのは首都とその周辺だと思われてきた。というより、東京の大学に入学すると自然な流れで職の多い首都圏の会社に就職する。
けれど、このコロナ渦では自宅療養がまかり通った。安心で安全であったハズの首都とその周辺にリスクはないのだろうか?
過疎化した地方にこそ、今後も新たな感染症が蔓延しても住みやすい場所がある気もするし、リモートワークからの気づきから派生して転居する動きが進みだすと思う。
劇作家の平田オリザさんは、若い女性の考え方の対局にある旧態依然のオヤジ感覚の行政のままではその町は滅びゆくと手厳しい。
つまりは、老人となった自分にとって住み心地が良くても、その地方の施策が若い女性にも気に入られているか?
そこも住み家を選ぶポイントとするのが賢い選択になると私は思います。
ストレスが閾値を超えると移動する
池田清彦さんの章。転職でも民族の大移動でも原理は同じらしい。この夏、中国南西部で象の群れが大移動していることがニュースとなった。
野生動物の場合には、ストレスがかかった後からではなく、何らかの予兆を察知して動くことがある。嵐の前に鳥が姿を消すように。象の群れにどのようなストレスがかかったのだろうか?
生物学者の池田清彦さんは、ホモ・サピエンスはアフリカからユーラシア大陸に移動した。何度も移動を繰り返している。その原動力=ストレスは人口増加に依る飢えだという。
産業のロボット化でもAIによる労働市場の縮小でも海外途上国からの働き手の流入でも、日本人の働き口は今後ますます減り続け、かなり無くなる可能性は高い。
そうなると、市場に乗せない農産物で暮らせるコミュニティーができるだろうと池田清彦さんはいう。そこコミュニティーで衣食住は賄われ相互扶助システムによる強固な集団が生まれる。
するとサラリーマンとなって市場からお金を稼ぐという強迫観念からも解放されるのだ。
キャリング・キャパと人口動態
もう少し、池田清彦さんのお考えを続けます。動物の個体群動態、人類の場合には人口動態、そこで一番重要なのが環境収容力=キャリング・キャパシティ。
ある地域で、ある種が持続可能な個体数の上限値をキャリング・キャパシティという。1万年前、人類は人口動態に関しては、ホボ野生生物と同じであった。人類は50~100人規模の集団で生活をしていた。
病原体やウイルスがその集団に侵入すると、多くのひとは感染し、死ぬか治るかして、病気の人は 50~100人規模の 集団から消える。
農耕を始めて集団が5万人程度となってやっと、人類に感染症というものが居つく。人類にとっての感染症は、そこから集団の中の誰かが必ず感染状態であることとなった、のだと 池田清彦さん はいう。
今般の新型コロナ渦では移動制限が強いられている。現状から2019年以前の生活に戻ることは、感染症予防上リスキーだという専門家もいる。
国家システムを見直して、民間の自由意思による、小規模な コミュニティー。1万年前の人類のカタチは50~100人規模の集団生活であった。
コロナによって加速させられた、人類の未来の生き方は、衣食住は賄われる相互扶助システム による新しい暮らし方。未来の人類の在り方の1つになるにちがいない。
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