人間の”蜜”ってあるとおもう。

ちょい悪

いつも当ブログに訪問いただきありがとうございます。みなさんいかがお過ごしでしょうか? 

わたくしは先ほど母の入院していた病院から介護タクシーに付き添い、多少母と話しをして老人ホームに預けて帰宅したところです。後日ブログでお話ししようとおもいます。

今回はこの2日前にフト思っていた事をすこし。

あなたは自分をどのような人間だとおもっていますか? 自己評価です。

10年以上まえに、「わたしウツ病・・・」と冗談ぽくもあり、本人が自己評価している女性と付き合っていたことがあります。

その彼女になるまえ、「やさしい? どういう性格ですか?」と問われた。彼女は瞑想をして空を飛ぶ、飛んだ体験を生き生きと話していて魅力的。

もちろん、実際には身体が飛ぶわけではなく、瞑想中の意識が離れ空を飛んだことは、説明不要の共通理解。

「自分の性格なんかわかるわけない・・・」と彼女の質問に即答すると怒られた。

「なんで子供でもない、そんな年をして、自分のこともわからないの?」と強い語調で。

瞑想していればわかるかな?とおもって素直に前置きなしで答えても「理解できるかな?」とおもったけれど失敗しました。

当時は初期仏教にまだ出会っていないけれど、いまでも「自分の性格なんかわかるわけない・・・」は同じです。たぶん、フツーじゃないんでしょうね。

なぜ? フツーなひとびとは、「自分は・・だ!」とわかった気になるのか?

みんな「わたくしはコーした性格で…趣味は・・」って簡単にいうんだろうか?

かなり昔にフツーでなくなているんで、フツーの感覚が思い出せません。

「やさしい?」のもう1つの彼女の問いにも、「どんなふうにやさしいか自分ではわからない。」と素直に答えました。

何をもって「やさしいです!」と言えるのか、わからない。今もわかりません。

その人の「やさしさ」や「性格」って、かかわった他人が決めることだとおもう。本人に関わりはありません。

慈しみを持てるように毎日実践しているけれど、どれだけ自分に備わっているか?気にしないし、わからないし、知りたい気はしません。

気分よく過ごせていれば、優しかったんだとわかる。

「気分よく、清々しく過ごせているよ!」

と次回からは回答しようかな?

とおもっています。

あっ、忘れてました。「人間の”蜜”」。

この数日前に、「オレって人の”蜜”を求めてさまよっている蜂みたいだよな・・」と思いました。うろうろととどまらずに次から次へと。 たとえば、リラクサロン。いろいろなサロン巡りが好きなんです。

「蜜」ってオレにとって何だろうか?

蜂って花の蜜、少ない蜜を吸って、それじゃ足りないから、次の花をさがしてゆく。

ひとが持ち合わせている「花の”蜜”のように少ない何か」をひとに女性に求めている、わたくしは。

答えになっていないかもしれないけれど、「その人の”色”」がわかると、花の蜜を吸い終わったようにして、新しいことや新しい人を探したくなる。

色って量的に少ないことはないから、すこし違うカモ。少なくて色的なものです。わたくしにとっての”蜜”。

「色」というよりも「波長」「波動」に近いかもしれません。

「こういう色なんだな。」とわかると吸うのを終えたい、吸収を終えている。

色認識したいだけだから人畜無害だとも思うけれど、男女関係になると、サラリと離れられない。

「あんたどこいくの?」と蜂は花から言われない。

人間は思われる。たぶん、後をひく。

ソレだけの違いです。

めんどくさくもあり、楽しくさみしいのが人間なのでしょう。

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