ブラックエンペラー元幹部のSE
2019年の夏に亡くなった、ブラックエンペラーという映画にもなった暴走族集団の元幹部のA氏とは、九段下の職場で初めてお会いしました。
フロアーは同じでも仕事は少し違う。20人程度の会社の部長のような役職。バブル経済に突入する時期で金融系は好景気。
山登りを始めていた私は、いつしか彼に誘われるようにして谷川岳の裾野の一の倉沢に2度ほどキャンプをしに行ったことがある。
男4人でテントの中。そんな夜に、元暴走族であったとA氏は語った、なんの威厳もなく、酒におぼれた酔いに任せながら。
そこから30年。年に1度程度は会っていた。
身近な死で人生観は変わる
気に入られた。何をかはわからない。A氏は私のすること言動が気に入ったらしい。近寄ってくる。なついてくる、年上なのに子分のようにして。
バブル崩壊後、A氏の会社が傾いた、大きな借金を背負った。ソコからA氏は変わった。運命を乗り切り奮起することはなかったように私にはみえた。
疎遠になった。10年くらい会わなくなっていた。一方的に私が嫌ったから。2019年の7月、突然にCメール。宛先不明。
「覚えていますか?」
名乗らない。良くわからない。返信したくないいかがわしい。
2週間後、あの頃のキャンプ仲間だった一人から「A氏が亡くなった・・・」と突然の連絡。告別式の日程を知った。
死に際のメールだった。とわかった。無念。父の死と今の職業はかなり関わりがある。リーマン直後、やっと得たバイトの初日に父は亡くなった。
「こんなこと言い合えるヤツは他にはいない。」と喜んで飲み合ったA氏は世代が近いゆえに、自分の死を考える大きなきっかけとなった。
自分はこのままで良いのか?
と。根源的に、より根源的に。
単なる文化と死と
日本人の死生観は限りなくポジティブだと思う。死人はだれでも「仏様」になり、「天国」に行く、無条件に。
実質的に無宗教の日本人は、頑なに疑わない。死んだ人は仏様になって天国に必ず行く、と。ファンタジーの世界。
日本のお盆。コレは日本の文化であって現実ではありません。共同幻想。文化としてやり過ごす。
わたくしは最近気づいた。
天国が仏教でいる梵天ならば、ホボ100%の死人は行けない。と。理由は簡単。準備してないから。
想念が悪く、幻想の過去ばかり悔やんだ人は良くない世界に行ったに違いない、と。かなりヤバイ場合には畜生界にはまっただろう。と。
無常は誰にもわからない
転生輪廻って今の日本ではオカルトになるんでしょうかね。イカレタ連中の妄想、ということになりそうです。
でも、昨日の自分と今日の自分。昨日のあの人と今日のあの人。全く人格が違う。
こうした事実をしっかり観察しているんでしょうか?
20歳の私は今の私では全くありません。
にわとりの卵とそこから生まれたひよこは全く違った存在です。
どんどんと変わる。
滝の水のように流れて流れて、どんどんと変わる。
初期仏教でいう「無常」は悟らないとわからない世界ですから、私にももちろんわからない。ノーベル賞受賞全員にも皆目わからないのが無常。
A氏が亡くなってから、自分が死ぬという感覚が近寄った。
死を知るために、生きているとはどういうことなのか?
と、概念や解釈の仕方という妄想ではない方法でアクセスする。ヴィパッサナー瞑想とはそうしたものです。
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