和顔悦色施(わげんえつしきせ)

読書とその周辺

舩後康彦(ふなごやすひこ)さんのことが知りたくって、「車いすで国会へ」を読みました。参議院に当選した2019年の12月に、東京家政大学へ招かれた舩後康彦議員はこう言います。

みなさんがコミュニケーションをはらろうとするとき、うまくいかず、

感情が高まることがあるかもしれませんが、

そんなときは、

「和顔悦色施(わげんえつしきせ)」という言葉を思い出してください。

「和顔悦色施(わげんえつしきせ)」とは、「いつもなごやかな表情で人に接する」

という意味です。

できてないナーっと自分を振りかえりました。そして、コレができるとうまくいくよな、と思いました。

舩後康彦(ふなごやすひこ)さんは、2019年の参議院選挙で、れいわ新選組から立候補して当選された国会議員です。

シングルシニアの私が、これからの人生を生きるにあたって、先人に学びたい。

誰から学びたいんだろう?

誰に会いたいんだろうか?

と自分に問うと、1957年生まれの方である、先輩の舩後康彦議員が思い当たりました。会ってお話しができるのか否かはわかりません。

まず、調べたくなりました。私の調べ方は基本は本です。ネットって手っ取り早いけれど、しっかりと企画され構成されて執筆、校正された本のクオリティーを信じているからです。

舩後康彦さんがもともとは普通の元気な方であったことは知っていましたけれど、何度かの挫折を乗り越えてサラリーマンとなり、宝石と時計の輸入販売をされていた。

ひとりでの販売の限界と言われている年間6億円という壁を越えて8年間売り上げ続けたことのなる凄腕のビジネスマンであったことを初めて知りました。

舩後さんが41歳のとき、1999年に体の各所にしびれが発症し、2000年の5月に筋委縮性側索硬化症=ALSと診断されます。

ALSは難病で、いまだ原因は不明。治療法はなく、全身がマヒすると、4年程度で呼吸が止まり死ぬ病気です。

ALSは、神経の病気で、脳からの指令が筋肉に伝えられなくなるので、歩く、話す、食べる、呼吸するといったことができなくなる。

ただし、知性と記憶はそのまま残る。知性が残っているからこそ、国会議員で活躍されているのですよね。

舩後さんはALSとなってから度々、「死にたい。」とおかあさまに言っていました。自分の命と引き換えに息子の介護を引き受けていた母。

舩後さんが「死にたい。」と言うたびに、お母さまは「生きなさい」と繰り返していたそうです。絶望からくる必死な訴えと、厳しく叱咤する言葉。

一時死のうと思っていた船後さんに当時の主治医からこんな提案、頼み事を言われます。

他の患者さんの役になってくれないか。ピアサポートをしてほしいんだ・・・

ピアサポートというのは、同じような立場の仲間が体験を語り、支援する仕組み。ALSだと知らされたばかりの患者は不安でいっぱい。でも、質問に答えていくうちに、少しずつ表情がやわらいでゆき、最後には感謝されている。

ピアサポートをしているうちに、船後さんはこう思います。

ぼくにもやれることがある。

まだ、死ねない。

ただ、先にALSとなったから、主治医の先生は舩後さんに相談したのではないのだと思います。「この人だからできる。」という信頼感があったのだと推察します。

和顔悦色施(わげんえつしきせ)。

人と接する時に、安心して信頼してその人の話しを聞ける。難病となる前から備わっていた舩後さんの能力と強さと優しさを主治医は見抜いていたと思うのです。

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