一人で暮らしで、話し相手がいないと寂しくなることがないわけでもありません。でも、昔からひとりが好きでした。
20年くらい前は、昼の外食の風景では、一人で孤食をするおひとり様はホボいませんでした。一人旅なども。
ところがこの頃は、若い人であっても飲食店やカフェでひとりの人が違和感なく受け入れられているという印象が私にはあります。
ずっと以前から孤独が好きだった私への「なんでこの人ひとりなのかしら?」という視線が昔はたくさんありましたが、今はない。
過ごし心地の良い世の中になったと私は感じています。そんな私でもごくたまには寂しいことがないわけではありません。
今は仕事があって出勤して会社の仲間に会って、一緒に仕事を進めているので、仕事中は人に囲まれています。物理的には寂しくない状態です。コーした何気ない囲まれ感は馬鹿に出来ない。だからって社交的でもありません。
会社以外で会って話をするように誘われたことが無いわけではないけれど、プライベートで会社の人と会って会社の仕事の話しをしたいとは思わないので、お断りしてきました。
総合職で会社の中枢で働いていたならば、どのようなお付き合いも無碍にはしなかったかもしれない。
転職組で2ランク下の方の職位。責任がない立場ではないけれど、怠けたいわけでもないけれど、自分への評価同様に、会社への私の評価も一義的、最優先とはなりません。
一人暮らしの話しでした。一人暮らしの問題って、ひとりで満たされた感じですやすやと眠りにつけるか?ということが私の場合は重要な問題でした。
一人だと不安感って無意識にあるもので、寝付けないとモー眠れない。心がどこかで枯渇していると、幸せ感がないから、落ち着けない。一人孤独の中の夜中に安心感を持ってぐっすり眠る。
私の場合はマントラを唱えて、ルーティーンのようにすると、ラクに眠りにつくことができて、ソコからは一人暮らしがグット楽になりました。
一人でも易々とすやすや眠れると無敵です。
一人暮らしで最初に決めていたことの1つは、独り言は言わない、ということでした。
一人暮らしをしていて、独り言を言うのって、傍から見てもおかしいし、「結局人恋しさの表れ」ってことに思えました。誰か聞き役が欲しい。いないけれど、聞いて欲しいから一人で話してしまう。
こうした独り言を言わない。孤独に徹する。
すると、何時間も無言の時間が流れてゆく、ということがあります。普通であれば、こうした無言の時間が長引くと、危うい、ということになるんでしょうね。
時には、話がしたいことが無いわけではない。
けれど、ほんの少しだけです、私の場合は。週に1時間程度。
ほとんど無言で生活することに何の違和感もありません。真っ暗で灯りのついていない家に帰宅しても、全く寂しいと感じたことはありません。
ただ最近思う事は、定年となると、物理的な寂しくない状態と何気ない囲まれ感が無くなる。つかずな離れずの薄い関係であっても、コーした社会性はあった方が良いだろうな?と感じています。
図書館やカフェやパートの職場といったものでは満たされない、たぶん。定期乗車券を購入して、時にはイヤイヤ出向くような、職場のような囲われ感の味わえる何かが定年後にあると、ぐっと楽しい暮らしにつながるように思います。
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