学生時代に恋愛したことがありませんでした。勉強はマーマーしました。
大学の就職課の課長さんと知り合いになって、気に入られた。システムエンジニアになりたいと伝えると、いくつかの会社を紹介されます。
「これをもってゆくように・・・」と言われて課長さんの名刺をその会社の人事部長に持参。あっけなく内定。今振り返っても、新卒で入社した金融系企業は、居心地が良かったと振り返ります。
これまでにお世話になった会社で、一番しっくりしているのは今の会社ですけれど、人間関係が楽しかったのは、あの頃です。
道を踏み外したのは、海外に足を運びたい衝動が高かったからです。
中東の紛争地にドーしても行きたくなった。ザホという難民キャンプで撮影してもらったのが、右の写真です。
なぜ?衝動が高まったのかというと、他国での紛争や戦争が他人事に思えなかったからです。
色々と現代史を知って、今の日本の商社が海外でしていることや、一見無関係な遠い国で被る人々が自分事に思えた。
実は戦前・戦中と大きな違いは無いんじゃないかナ?
自分で見て確かめたい。
現地では、共同通信や読売新聞、朝日新聞の記者とカフェでお茶をしたことを思い出します。取材がどうのこうの。
彼らは今夜、日本からきている親善大使のパーティーの取材があるという。私は奥地に入る、と話すと、「うらやましいな~」と言っていました。
こっちはシステムエンジニア崩れの素人。彼かこそがジャーナリストのプロなのにね。
私は、たまに、「学生の頃の自分が今の自分の有様を知ったら、タマゲタだろうな?」と思う事があります。
想定していない人生、生き様。
普通に1つの会社に就職して定年を迎える、という人生ではなかったし、色々な事をしたいようにしてきました。
時には、激務でヘロヘロになりながら、時には、この上ない休日も過ごす。とんと40歳までは全く女っけがなかった。
いいな!と思う女性には必ず彼氏がいたり・・・。
結婚や普通のサラリーマンの生活に対する憧れもない。シングルだと、仕事から帰って真っ暗な自宅で電気を灯すのが寂しい、という人がいるけれど、全く寂しくない。むしろ自由でうれしい。
かなり、行き当たりばったりで、どうにか生きてきた日々もある。
内面の充足感はたぶん、 普通のサラリーマン をしていたら一生味わえなかったような事を知り、してきたと振り返ります。
20歳の頃に思い描いたように人生を生きている人ってどれだけいるのか?
知りません。ほとんどの方々は世間並に生きることを目指して、世界の事なんか考えずに、紛争や他国の難民の事は考えず、普通に、日々をたんたんと生きているのでしょう。
たぶん、新卒で入社した会社に居続けることはできた私の場合は。精神的にはキツかったろうけれど、世間並に生きることを選んでいたら、今のようにはならなかったと思います。
それなりに幸せだと、ソコで充足したろうと思うのです。
毎日がどん底のような日々もあり、ソコから抜け出してみて、思いっきり方向転換もして、今がある。自分に課した人生で果たしたい事。ホボだれも関心のない、私には大切だったソレはかなりいい線いってると自負してます。
20歳の頃、インターネットも大震災停電も新型コロナの中で生きることも、誰が想像できたでしょうか?
20歳の自分が過去から今を垣間見ていたらぶっ飛んだことでしょう。
若いころに女性とご縁が無くってむしろ良かった。右往左往してむしろ良かった。
今が一番幸せに思えます。
仕事でも恋人でも書籍でも、「ちょっと違うな?」と思ったらカードを引き続ける。トランプに例えるのは不遜だけれど、行動し続けると、しっくりくる何かと出会う確率は上がります。
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