魂の森を行け
2001年に職業を変えました。好きだった写真の会社からシステムエンジニアへ。新卒で入社した会社はシステム開発の会社でプログラミングはできた。
ソコから趣味が高じて天職を得たようにして写真店に就職する機会を得ました。楽しかった。好きだから仕事という感覚は全くなし。
常連のお客さんとの写真談義。写真のアドバイス。記念写真の撮影。
フィルムのカメラからデジタルカメラへ世間が変りつつある時期。ソー20年ほど前には、当たり前のように写真はプリントしていました。アルバムに貼ったりして楽しんだ。
フィルムからデジタルへの移行に失敗している。なので、その会社を泣く泣く辞めてエンジニアの仕事へ。
常にパソコン画面のプログラミング言語と格闘し、システムエンジニアの過酷な長時間労働という環境にどっぷり浸かった。土曜日も当たり前に出社し終電間際まで平日は残業。
そんなとき、昼休みだけは神社を散歩したくなっていた。バランスを取ろうとしたのだと思う。溜池山王の首相官邸のすぐ横のオフィス。
山王神社への散歩と参拝。
気持ち良い。
そんなころにであったのが、宮脇昭さんの人物伝のような「魂の森を行け」3,000万本の木を植えた男 一志治夫著。
明治神宮の森も宮脇昭
その頃は魂というものが人間になると信じていた。今は無いと確信・確認しています。
雑草学という全く人気のない分野を研究された宮脇昭さんは、ドイツ国立植生研究所所長、ラインホルト・チェクセン教授との出会いで人生が決まります。
ラインホルト・チェクセン教授が、世界で初めて”潜在自然植生”の論文を発表した頃、宮脇昭さんは先生に弟子入りする研究生。
意気盛ん、それまでの研究成果をため込めたエネルギーで世に放つ。
エネルギー溢れる ラインホルト・チェクセン教授から宮脇昭さんは徹底的な指導を受けた。
”潜在自然植生” とは、人間の影響が無くなった場合、その土地の自然環境の総和が、どのような自然植生を支える能力を持っているかを理論的に考察するという概念。
自然状態からはほど遠い人工林の植樹や森林伐採などの自然破壊で大きく様変わりしている自然には、もともと、本来の自然だからこその自然の総和のエネルギーがあって、世界のその1地点に必ず、最善な植物が1種類ある、という理論。
人類はそうしたことを知らないから、勝手気ままにその土地に適合しない草や木を植えてきた。そうしためちゃくちゃではちゃめちゃな地面に這いつくばり、丁寧に雑草を調べると、本来の自然の植生がわかってくる。
神社は潜在自然植生
たぶん、「こいつには見込みがある。」と留学してきた宮脇昭さんを見て、 ラインホルト・チェクセン教授 は気づいたのでしょう。
ご自身の研究成果を託した。バトンを渡した。
宮脇昭さんはしっかりと受け取った。
宮脇昭さんは日本に帰ってから日本の植生の研究を始めます。日本の本体の植物は、シラカシ・アラカシ・スダジイ・ダブノキ。
ところが、日本人は木材生産が目的だから、潜在自然植生ではない、スギ・ヒノキ・マツ・カラマツを植林してきた。
先の戦争の終盤では日本の地方都市で空爆が多数行われました。一面焼け野原。民家と基本同じ作りの神社だけは焼かれなかった。
神様が守った?
神社には手つかずの潜在自然植生そのままの木や草が生えていた。その森が大そう火災に耐えた。 潜在自然植生 が残されていたから神社は焼けなかった。
自然があって人間が生まれた
たまにこんな妄想をすることがある。地球の酸素欠乏率は高まる一方なので、海の赤潮青潮のごとき無酸素状態の大気の塊が動き回り、台風のようにして、ほんの3日程度で人類のある地域が原因不明で絶滅する。
20代の頃は環境問題はかなり身近に感じていた。今後の長い人生において環境あってこその人生だと考えていたからだ。
いまでは、なるようにしかならない、と思う。他人の意志を私は変えることはできないと悟ったから。
地球というものが一人の生命体と仮定すると、人類はその生命体にとって悪玉なのか善玉なのか?
そもそも人間の人体は地球の部分から組み立てられている。地球人は地球に寄生するようにして生きているハズ。
ところが、人類は地球にとってのガン細胞になってしまった。悪玉でしかない。地球を破壊する側へ、人類の総体としてのエネルギーは明らかに向かっている。
地球にとってのガンのような人類。と思うことがある。
その人に現れるガン細胞は、地球の救世主側なのではないか?と、思う事がある。自虐的すぎ?ちょっとブラックでしたね、ではまた。
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