稲垣えみ子さんを今回初めて知りました。お顔をどこかで拝見したような印象は、特徴のあるアフロヘアだからだと思います。
シングルシニアがリタイアを準備するには、男性の先輩から学ぶだけでなく、年下の女性からも学ぶことができる、と強く思えた1冊でした。
火力発電所が何基か不具合になっており、停電危うしという昨日以降、タイムリーと言える、「結構、電気なくても生きてけるよ!」という示唆に富むアイデアが満載であり面白い。
一橋大学を卒業して朝日新聞の記者であった稲垣えみ子さんは、あの3.11から電力消費に疑問を持ち、電気に頼らない生活を実践されてきた、いる方です。
「寂しい生活」とはアンチテーゼで、豊かで希望にあふれる生活=両親の望んだ生活=家電生活。そんな生活に背を向ける生活を世の中の多数側から覗けば、さぞや「寂しい生活」と思われるであろう、という意味。
世間からは「そんな生活って豊かでも、望みたくはない・・」と一見して思われるだろうけれど、やってみると全く、寂しいというよりもホントの豊かさに気づく生活でもありうる、ということを教えてくれています。
稲垣えみ子さんは、電気が無いものとして生活を変えました。頭の中を本気で変えた。エスカレーターは電気が無いと動かないから使わずに階段、というようにして。自然に体を使うので運動になると発見。
家電製品を1つ1つ手放して照明を使わない。帰宅後に、玄関で暗さに目を慣らす。外からのわずかな光の差し込む薄暗い部屋で夜を過ごす徹底ぶり。
そして冷蔵庫の無い生活へ移行して、1日1回分の食材だけをスーパーで購入すると、その量の少なさにあっけにとられた。電気を減らす生活を続ける先で新聞社を辞める。働き方も変えた。
稲垣えみ子さんはいう。
「上を見て生きることは素晴らしい。でも、そのことだけが素晴らしいわけじゃない。ずっと上を見て生きてきたんだから、ここらで、違う方向へ乗り出してみるって、なかなか楽しいことなんじゃないか?」
詳細はぜひとも本著をよまれてください。実はその中身は寂しくはなく楽しい発見の連続の生活であった、ということが1つ1つ綴られています。
私の幼いころを思い出すと、トイレで用を足して、トイレの水を流すことを母から教わった時に、「便利なことになっているんだな」と思った。
洗面所でも、水が自動的に出てきて手を洗うことって、魔法のように感じていて、それを実現していることの便利な心地よさを感じていました。
ところが電気に関してはなぜか、当たり前のように感じていたと思います。冷蔵庫って便利だと思っていたけれど、冷蔵庫のない生活ということを思い浮かべることはできませんでした。
20歳代の頃、社会人になってから、山登りやキャンプをしたことがあります。山小屋に宿泊した事も何度もある。
けれど、ソコは電気のある普通の生活とは断絶していて、「電気って便利だな・・・」と改めて自覚したことはありませんでした。
キャンプが好きだと自動的に都会の電気生活に疑問を持ちエコロジカルに生活を変える、ということはマズありません。
ココはこういうところで、アッチはアーいうところ。というTPOがあって、棲み分けておしまい。
たぶん、山を下りて都会に戻れば、確実に電気のある生活が確約されている安心感が無意識に働いていたのだと振り返ります。
では、いまなぜ、節電であったり電気製品を使わない「寂しい生活」に興味を持ったのか?
というと、昨今、電気代が高いし、今後もっと高くなる可能性がかなり高いからです。使わずに済むならば、ソーした変化への究極的で実現可能なテキスト、見本になる、と思いました。
電気代が倍だ、10倍だ!となって、世の中は慌てふためくんでしょうけれど、「電気使わないから変わりません私は・・・」という生活って1種の理想だと思います。
世間の多くの方々からは、そんな生活楽しくない!と思われるんでしょうけれど、どこかかっこよい。
電気に限ることなく、「消費」だって応用できる気がしてきます。
消費税が今後20%、30%と上がる可能性も高いようですけれど、極論、消費しなければ、今のようではない消費に変えると、課税対象から外れることもできるんではないでしょうか?
1例を申し上げると、物々交換だと消費ってないから消費税はゼロ、とかね。すべてではなくって、ある程度はお金はあって良い。
当たり前に他人から買っているものを、別な方法によって減らすだけでも対策になる。自家製。
昨今、SDGsが大流行ですけれど、何か変革するような気概を感じません。これまでの豊かさの延長線に流行のロゴで誘う感じ。本気ではないでしょうほとんどで。嘘っぽい。
いまの「当たり前」を疑ってみて、別な、スマートな方法を生み出すってことが、本質的な意味でのSDGsなのかもしれません。
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