寒い冬が寒くない

ヴィパッサナー


昨年からの冬は例年よりも寒い日が多くありました。3月の二週目に入り、春を迎えるこの時点で冬を振り返ります。

わたしはよく風邪をひきます。喉がいがらっぽくなり、痛くなり、声が変わる。熱が出る。
ちょっとした風邪ぎみから、自分なりに養生し休息しても、悪化することたびたび。


この冬から、朝4:30に起床してブログの記事を書いているので、尚更、寒さが身に染みる。
エアコンを付けても、すぐに室温は上がらない。


これだと熱が出るかな?という風邪気味体調が数回ありましたけど、不思議と翌日には回復する、という日々を繰り返しました。


自宅から自転車で10分、最寄り駅まで向かいます。
革の手袋をしても、寒さが指に染み渡る。以前ならば、その冷たさを強く感じ痛みがありました。


この冬は、自転車移動中に瞑想する日課も功を奏したのかもしれない。いつもだと、指先の痛みばかりが気になる自転車通勤で、痛みは僅かにしか感じませんでした。


一番は、気にしない。感じいらないで、痛さを受け取らなかったからなのだと思います。
痛みも、そこからの感情が音を大きく鳴らすスピーカーのようにして、働くと、本来の痛みより遥かに痛く感ずるのでしょう。


ヴィパッサナー瞑想による結果の一つだと思うのです。

「痛さ」と「痛み」は違います。「痛さ」とは痛いと思う気持ち、感情を伴っています。けれど、「痛み」は、ピンポイントの痛む部分。

最初の内は、この2つの違いがよくわからないと思います。わたくしもソーでした。

ところが、「痛み」「痛み」と客観的に痛い部分だけを観察しようとしてゆくと、痛みの核心の部分だけがわかってきます。

話しが少し変わります。

お釈迦様も普通の身体をお持ちでしたから病気になることはありました。けれど、1日で直った、と仏典に書かれているのだそうです。

涅槃の安穏にあると身体の細胞もすぐに快方へと働くのだとスマナサーラ長老のおっしゃっています。本来は数日で直る病気や体調不良が、「痛い、痛い」と感情を伴う事で、何か月も治らない、ということになるのだそうです。

天風会の創設者の中村天風さんも不治の肺病を患って、病を治せる人を探すために世界を放浪して、ある人と出会い、気持ちが体から離れることで治ったということを著書で書かれています。

感情は人に備わった自然な、有って当たり前の、悪くはないものだと思う人も多いでしょうけれど、病気などに対して悪さをすることがあるようです。

今回の寒い冬で風邪をなんとか今日まで引かなかった私は、少しだけ、感情から離れて寒さを感じてこれたからなのかもしれません。

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