将来が無い人はどうするか?
人生100年と言われることが半ば常識化している日本。その一方で、ヨーロッパでは格差社会が進んで平均余命が縮んだ国がある。その1つがポルトガル。
医療科学は確実に進歩しガン治療も進むので、必然的に平均余命が長くなって日本は長寿社会を実現できるのか?
近い将来、日本でも平均寿命は頭打ちし、徐々に寿命が縮むと私は推測します。格差の中で貧の側が増え続ければ、寿命格差が拡大し全体平均は縮むからです。
あまり長くは生きないのであれば、将来不安を伴った老後の準備にどれだけの意味があるでしょうか?
余命宣告を受けながら、治療に専念しつつも、明らかに命の長くはないことが分かった時点で、ドーするのか?
わたくしは、今できることを最大化します。
余命宣告を受け、治療中に病院の喫茶店でコーヒーを飲みます。そこの喫茶店できれいな女性がいたならば、声をかけたい。話しがしたい。うまく話しがはずんだ日には、いつかデートに誘いたい。
自己投資が先
マネーゲームの話しではありません。いつでも笑ってる自然に、ということ。ホントの自己投資っていうのは、幸福感で今を生きること。
そのような状態に自分を作り変えること。
貪瞋痴に惑わされずに、貪瞋痴の世の中に付き合いながら、つかず離れずしたたかに生きてゆく。慈しみの瞑想は一種のマントラです。
その他のマントラって意味不明のお題目。神秘性がある分人気が高い。日本人が大好きで一番人気なのは般若心経。何言っているかわからない。神秘って貪瞋痴。現実逃避は貪瞋痴。
ヴィパッサナー瞑想はマインドフルネスという逆輸入ものではありません。ブーム性なし。パワーを授かることもなし。だから安全。
本人が気づかぬ間に変ってしまっている。集中力が自然に身についている。同僚がへまをしている、困難になっている仕事が、さっさと軽くこなせている。実感。
どう転んでもベスト
歩く瞑想を1時間できる人は限られています。そもそもしたいと思わない普通は。仏縁があるからやる。
淡々と粛々と実践すると、何も変わらない。それでも続けると、少しだけうまくいく。長く感じるときもあるし短く感じるときもあることがわかってくる。
人類史上最高の善行為が瞑想だとスマナサーラ長老はいつでも言っています。「人類史上」といのは私の勝手な修飾だけれど、間違いではないハズです。
コーしたことがわかってくる。自然に。する、やると。
はじめのころはわからない。人を助けたり、正しい政治家の味方になって応援するほうが世の中を良くすると思えたから。
結局すべてが自分の作り描いた妄想。「自分」そのものが妄想。ソーわかるひとはどこにもいない。
ソレを無くすことがすべての最優先事項だとわかる。
歩く瞑想も座る瞑想も貧富の差など関係なく、ホボ誰にでもできる。ただし、生活が忙しい人や余裕のないひとにはできません。
やろうと思えばできるひとにだけ届くのが仏縁です。
人間予測はハズレがち
世の中は無常です。宇宙も無常。こころも無常。コーしたことがすこしわかってきました。神秘的でもなんでもない。
ただただ、間抜けに繰り返し。汚れた自分の心がいかに見にくいかが見えてきます。落ち込むことなく。
物質ばかりの宇宙空間では、生命は希少価値がある。とても少ないんだそうです生命って。もちろん、地球以外にも数多生命体がある。
数多生命体はこの宇宙にたくさんあるけれど、生命は限りなく少ない。どんな高等な生命であっても貪瞋痴の世界、閉じた中で生きている。
貪瞋痴とは感情の奴隷。だから、人間の予測はホボ当たりません。
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