岡本太郎は命の恩人です! 岡本太郎展 12/28まで(月曜休館)

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埼京線で赤羽から新宿に向かうと、通過する池袋駅には大きな看板の広告が目に入ります。一昨日、その大きな看板で岡本太郎展を発見しました。ソーいえば最近太郎さんのこと書いてたな・・・。

最近の当ブログでは岡本太郎さんを挿入した記事が重なり、「岡本太郎出し過ぎ?」という感覚がありました。

誰かの事を突然に調べたくなって調べていて、調べ切ってからその人の生年月日や死亡年月日を調べると、その日が命日だった、ということが何回かこれまでにあります。

北海道の神田日勝もそのおひとり。

「なんで?このタイミングでオレ調べてんの?」と少し離れるようにして最後にその人の生年月日や死亡年月日を調べると、調べていた日と重なる。

というか、命日を知った今が命日だったんで鳥肌が立った。ということがわたくしには何度があります。すこし脱線します。

湯島鍼灸院には元院長さんの五味彰先生がいらした。なかなか予約が取れない凄腕の人気の鍼灸院。そんなことお構いなしに、「今日体調わるいな、電話しよう・・」と電話すると予約枠がたまたま空いている。

現在の伊藤院長さんにも言われたことがあります。「今日はなぜか空いたな~とおもっていたんですよ。」そのタイミングで調子が悪化して即電話している。何か優先してもらうような感がある。戻します。

幼稚園のころ、学校に早く行きたくって行きたくって待ち望んでいるような園児でした。年上の兄の友達やらが周りにいてうらやましかった。

小学校までは比較的楽しかったけれど、中学、高校は好きではありませんでした。学校に馴染めない。いじめに合ったことはありません。すこしだけある。

大分たってからわかったのは、小学校の低学年の担任の先生からいじめられていたのだな、という程度です。

学校に馴染めなかった理由は、「ホントの勉学の学び舎ではない」と感じていたからだとおもいます。管理されることになじめない極端な性格だったのでしょう。自分のことばをもっているひとがひとりもいない。

規則を破りたい性格ではありません。

私服で登校してよい共学の高校で、ワイシャツに学ランでした。面白味のない勉強とくだらない興味ばかりの同級生。

ホボ孤立。

作家になりたての柳美里さんが「休み時間に窓のカーテンを開けて窓の外に顔を出して思いっきり空気を吸っていた」とおっしゃっていましたけれど、おんなじだったなと思ったことがある。

いまでは「独学」というとメジャーな印象があるけれど、当時「独学」というものに出会ってソーしようとした高校生はかなりレアだったと思います。

だれもアテにならないから、自分で孤独に学んでゆこう・・・、という時期。17歳くらいでしょうか。

杉並区の図書館で、挙動不審に、固まったこわばった筋肉で頭が働かないうつろな状態から、手にした、そして驚いたのが岡本太郎さんの本でした。

ラジオをたまたま流し聞きしていると岡本太郎さんの講演。それをテープに録音してくりかえしくりかえし聞いていたっけ。

絵を描くと落ち着くということがあります。

わたくしの場合は絵画よりも社会人になってからの写真撮影。元気になれた。いまは写真も絵画もしていません。

岡本太郎さんの絵を特別な思いで観たいショードーも正直ない。今日は遅い遅い夏休み。すこし疲れて何もする気がない感じ。

昨日から岡本太郎展が開催されているんで、呼ばれたんでしょうね。したいことは山ほどあるけれど、予定は未定。

でたとこ勝負がおもしろいこと、知っています。

これから向かおうと思います。

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