マットー加減がはんぱ有りません。ウソだとおもうかたがたは、山本太郎さんの過去の議員活動を調べてください。ふつうの女性が制作している動画もあります。山本太郎を伝える動画。
前回の記事から読まれるとわかりやすいです。山本太郎は成績の悪い生徒に”政治のリアル”を教える補習の先生である。政治の補習をする議員も学者もメディアも教師もいない。だから、ひとりでしてきたのです。
でも、現実には、支持政党がれいわ新選組だと打ち明けると、「なんで?驚いた!」であるとか、音信不通になることがあります。
なぜなのか?
日本国民は政治の学びができていないからです。政党政治であったり国家というものに関わることの意味をしらない。
「政治を語ることはかっこが悪く、ちょっとおかしな人」とレッテルを貼るように変わった。1980年あたりから大きく日本はかわった。だから選挙の投票率が下がるのは当たり前です。
そして、どの政党がどんなことをかかげ、実際には何をし、何をしてこなかったのか?
有権者はしっかりチェックしてこなかったのです。
本来のニュースとは検証するニュースなのでしょう。
近年の権力は近寄った。行政も司法も立法もマスメディアも。
「おかしいじゃないか! 公のことなのに私利私欲ってまずいよね!」、とは言えないホボ。「私利私欲の何がわるいのサ!」とオーゼーが思うように変わったのでしょう。「政治を語ることはかっこが悪く、ちょっとおかしな人」だから。
新聞やニュースなどは本来の役割からほど遠くなった。ほとんどの新聞記事やニュース情報は、政治の学びよりも面白くってたのしい、でもくだらないことにウエイトが乗っかっている。堕落した。
深く考えるひとはめんどう。宣伝したらすぐに乗っかるような軽いひとびとにしておくとラクに儲かる。
「宣伝したらすぐに乗っかるような軽いひとびと」がカッコ良いことになった。どうでもよいファッションのセンスがいいのわるいの、ということが大切。
たべものや菓子のどこが美味しいの、といったことはあってよいけれど、国の根本のありかたを決めることは最低でも知ってもらう、学んでもらう。おおやけってそういうものでした。
史実を知ることも出来なくなり、へなちょこな物語が歴史の事実だとして教えられている。たぶん、「コレおかしいよなホントは・・・」とわかりながら、ソコに近い人々がへなちょこな物語を許し、だんだんと広まった。
学校で宿題をしてこなかったり、テストの点数がわるいと、いのこりで授業をしたり勉強する、ということがあります。補習。
足りないトコがあるから補習する。
政治の学びがたりない社会人に、なぜ?補習しないんだろうか?いのこりで授業させればいい。
1+1=2というくらい当たり前なことでしかないんです。
いのこり授業の先生が山本太郎なのです。
おおやけをひとりでかって出て、してきたのが山本太郎なのです。ことしも年末の山本太郎はひっそりと炊き出しの手伝いをするのでしょう。
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