幸福とカルマ(業)と

ヴィパッサナー

テーラワーダ仏教(大乗仏教側が”小乗仏教”と呼んだ本道の仏教)のスマナサーラ長老のyoutubeを拝聴した感想を綴ります。相談者は、3代自殺の家系に生まれ、自分も肢体不自由の病の人生を悩んでいます。

カルマ、それが何?

この環境(国・社会的地位・親族・両親など)に生まれた。というのがカルマ(業)。

業は宇宙法則だ。生き物を殺すことや嘘をつくことは悪行為なので、それをした生き物に悪い見返りがやってい来る。といった法則。

肉食動物のハイエナやライオン。彼らは食料が生きた動物。生き物の肉と内臓と骨を食べないと生きられない。そして、生き物を殺すことの見返りを受け続ける。カルマにはまり続けることは残酷だ。

業という宇宙法則がある、というところまではわかるけれど、しかし、実は、”カルマ=業とは何か?”ということは誰にもわからない。

本物の坊主がカルマを語る時には、必ず解決策も語る。カルマだけを取り上げることはない。

悪業とは何かはわからない

人は、幸せであったり、ラッキーであったり、運が良いことを喜ぶ。貧乏な家庭に生まれるよりも裕福な家庭に生まれるほうがよい、と決めつける。

貧乏な家庭に生まれて、懸命に生きて良い人格になる。裕福な家庭に生まれても、堕落して悪業を厭わない。ということはある。

発展途上の貧困な国に生まれて、その国で懸命に生きる人生と、裕福な先進国に生まれて、たわいのない事で時間を浪費し自分が得になることばかりで頭が一杯の人生。

スマナサーラ長老は、駅でよく道に迷うという。盲人が杖を突いて電車に乗り、駅のホームを歩いている。真似のできないすごい能力。

普通に目の見えている人は、しょっちゅう道を迷う。

しっかり生きているのはどちらなのだろうか?

誰も助けてはくれないと覚悟する

物理学者のホーキング博士。体が動かない。動かすことができるのは1本の指。世間では負の側面と捕えることを正としてとらえ直す。

全身まひという病があった分、普通の人が抱えている、たとえば、家族のことに悩まずに過ごせた。家族の悩みから解放され、ひたすら研究に没頭し続けられた、良い側面はあっただろう。

カルマ=業を他人のセイにする。

自分以外の人に助けを求め、”助けてくれない!”と言っているうちはカルマの勝ちになっている、とスマナサーラ長老は言うのです。

人間社会ではお互いの助け合い、役割があって生活は成り立っています。そうであっても、自分の不幸を他人の責任にしてはいけない理由は、カルマ=業は自業自得の法則だから。

カルマがあっても「だから、それが何?」とへっちゃらで生きることで人はカルマにめげずに生きられるのです。

思考パターンを変える

3代自殺の家系で自分も自殺を考えているらしい。スマナサーラ長老は、「家にある本・習慣・考え方。それらのパターンを変える」ことでカルマから抜け出せる、という。

どのようにして変えるのか?

それは、簡単であり難しい。

慈しみの瞑想をすることとヴィパッサナー瞑想の2つ。しっかり指導を受けてやっていく。

簡単で、だれにでもできる。

難しいというのは、思考パターンがこれまでと真逆だからだ。地球が永遠に右回転していたところから、左回転に変える。あるいは回転を止める。

そのくらい、激しく変えることだからなのだ。

コメント

error:Content is protected !!
タイトルとURLをコピーしました