お祭りと事故
10年くらい前に諏訪神社で御柱をゆっくり拝んだことがあります。それより前には御柱祭りをする山の車道を通過、「ココだよ・・・」と通りすがることもあった。
毎年ニュースにもなる御柱のお祭りで時々死人がでた。急斜面を裸のような装束で、ご神体の巨木にすがって上り、乗りながら斜面を下る奇祭。
欧米のお祭りでも死人がでたとニュースになることがある。スペインの闘牛はお祭りではないけれど、鋭い牛の角で刺される事故もある。
だから、「今回をもって中止致します。」とか、「安全に配慮して人命尊重順守でお願いします。」とはならない。
危険な要素をそのままに、多少の対策をしても、基本は変えない。
死者のでるお祭りは良くってフジロックはダメなのか?
私は音楽寄りの人ではありません。日常的に音楽は聞かない。車でドライブする時くらい。
フジロックというものが開催されていることは知っていても、その催しの音楽性も知らないし興味もない。
このコロナ渦で、ビフォーコロナ同様にフジロックが開催されたことに批判的な人たちがいるらしい。
そんな人に聞いてみたいのは、
「御柱祭りも反対してきていますか?」
ということ。プロ野球では観客を入れているのをテレビで見かけるけれど、そっちにも反対していたのだろうか?
感染対策などの方法論ではなく白か黒かという問い。
数の問題
音楽のメッセージ性は私はわからない。メッセージの内容ではないことを問題とする場合、何が問題なのか?
言う内容の自由は一応日本では保障されている。とすると、数の問題以外見当たらない。
その他のお祭りは良くって、フジロックはダメという根拠のお話し。御柱祭りは数年に一人ふたりが亡くなる程度だから問題はない。
けれど、フジロックは数十人単位(数万単位の感染源になり得ると言い換えても同じ)でコロナ感染発症リスクがあることが合理的に解析できる、だからすべきでなかったという理屈。
フジロックを開催すべきではなかっとすると、オリンピックは開催すべきだった理由は何だったのか?
子供に勇気や辛い大人に希望を与えることが理由なら、その他の祭りでも希望や癒しや明日への活力になる開催の理由はあるのではないか?
祭りに狂うのは今に始まったことでない
新型コロナで感染源となっているのは家庭内感染が最多。(じつは飲食店での感染数は20%未満。10~5%程度だったと記憶する。)最も危険な家庭内で、マスク着用を義務付けたり、個食の徹底を呼びかけてはいない。
自宅に地下室のある宅はなるべく入室しないように。という促しを聞いたことが無い。
人流を増やさないことや飲食店でのアルコール禁止ばかりが取り沙汰される。家庭内感染の比率が高いのに、家庭内の飲酒は放置されて、陽性判明者や感染者は家庭内に留め置く。
話しを戻そう。
フジロックを起因とした死者が出たというニュースは聞いていない、いないからなのでしょう。2週間後に死者がでないのなら御柱祭りなどより安全だったと思って良い。
そもそも、クラスター対策って世界標準ではないし、コロナ対策の好例の世界標準PCR検査。
日本の様々な問題・いざこざ。そのすべての起因は、何度も繰り返しPCR検査を徹底するシステムを公あるいは事業として作らなかったからなのではないか?
そして、祭りで死人がたまに出たとしよう。
お祭りとはそういうものなのだ、という危険性をも含めて認知されてきたのが、これまでの日本と世界のお祭り。
だから人命は二の次で良い、と言っているのではない。コロナ渦、どのような祭りもすべきではない。
しかし、コロナ感染拡大のさ中、民族の祭典=オリンピックは日本で行われたのだ。
フジロックが音楽の祭典であったならば、もう1つのお祭り。フジロックばかりを照準に批判する人は、どうしても二枚舌のようにしか私には映らない。
オリンピックを開催し、マスクなしで競技しなければならなかった特異点と、公費ではなく生業として合法的に、野外でありたがらも、フジロックを開催してはならなかった特異点の2つを同時に説明する必要が必ずあると思えるからだ。
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