セブンルール、タモリ倶楽部と志村けん
2020年3月29日。志村けんの突然の訃報は衝撃でした。その数年テレビで録画設定していたのが、志村けんさんの番組とセブンルールとタモリ倶楽部の3つ。
見ない時は半年くらいテレビを見ない。思い出したように取りためた録画を季節外れに観ることが習慣に。
今年もネット動画で志村けんのコントを良く見ます。一人で大笑い。バカ殿シリーズはお決まりのパターンがあったりで、どれも似たようなコントだと思っていたけれど、かなり場面設定が多いことに気づきました。
石野陽子さんとの掛け合いは若い時期でもありノリノリのテンポが素晴らしい。中国語のテロップが挿入されている動画のチャンネルもあり、体制を超えてウケていたと知りました。
志村けんの料理
自炊での料理に凝っていた時期に、志村けんさんによる料理本を発見したことがあります。酒飲みでもあり、食事にも気を付けていて、体に良い料理を自ら作っていた志村けんの1面を知らないひとは多いことでしょう。
料理というのは、子育て中だと時間に追われて大変でしょうけれど、シングルにとっては気分転換になるストレス発散法。
段取りを決めて、あらかじめ準備して、絶好のタイミングで火を止める、味付けする。理科の実験のようなイメージで私は料理をすることが多い。
仕事人間の人ほど料理をすると、脳のアイデアのデトックス効果が高い。不要なものをさらさらと流して、新たなアイデアにたどり着くには、流れを変えることは重要。
タモリさんも料理がうまいのは、料理による脱力、気分刷新効果を実感されてのことだと推測します。
ダチョウ倶楽部の決まりネタが受けるワケ
話しが変わりますけど、バカ殿のレギュラーにダチョウ俱楽部さんがいますね。 ダチョウ俱楽部 は芸の人たちではありません。
落語・講釈師・手品師といった芸の人ではない。芸の人は繰り返していても笑えたり、驚けたりする何かを持っている。
落語家は同じ話しでも、毎回どこかで悲しませたり、笑わせたり、できます。話しのスジを知っているにもかかわらず。2回目は知っているから笑えない、ということがない。
上島竜兵さんが帽子を床にたたきつけるネタや、ケンカ口論しながら徐々に近づいて相手とキスをするネタ。
わかっているのに、毎回笑ってしまうのは、お笑い芸人とは明らかに違う要素=芸で笑わせているのです。
志村けんと萩本欽一
志村けんが亡くなってから今までに、ネット動画をよく見ます。最近気づいたのは、志村けんのコントの一時期、萩本欽一さんとよく似たコントをされていたこと。
萩本欽一さんよりも師匠のいかりや長介さんのほうが先輩。ドリフターズは元々はバンド。 萩本欽一 さんは楽器を演奏はしていない。
萩本欽一さん笑いは人情だったり視点のやさしさにあった。戦後に戦を引きづっていた。 ドリフターズ は明らかに舶来品。
志村けんさんは茶さん以外の若手と絡む場合、萩本欽一さんの笑いにどこか似ている。真似ているというと言い過ぎだろうか。
萩本欽一 さんは言い回しのギャグっぽいものはあるけれど、ポーズ、形によるギャグって少ない。志村けんのコントには、歌舞伎でいう見栄を切る感じのポーズ、形がたくさんある。茶さんの芸を受け継いだ。
面白い事に、見栄 が行き過ぎて、ダンスになった。
変なおじさんシリーズの最後の「ソーデス、わたしが変なおじさんです」から始まる開き直りのダンスは発祥は歌舞伎の見得だと私は感じます。
本著「遊び術」についての本題が付録みたいになってしまった。気取らない雑談を書き留めたような語り口でありながら、人生のキモのような名言が並ぶ。
人との関係性がすこしおかしくなったとする。
そうしたら、その人と志村けんが出会った時を思い出す。「そもそもアイツとの出会いってなんだっけ?」と戻る。
原点帰りたいとき、志村けんは、映画ならチャップリンとジェリー・ルイス、音楽ならビートルズ。自分自身の規範に帰る。
すると、不思議な力をもらったような気がした。と志村けんは言うのです。
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