ロケットと三十三間堂は柔
日野晃さんは中学生で体操のオリンピック選手、のちにジャズ。ドラマーとして活躍。ドラムの叩き方で音が変わる。叩き方を追求する中で武術に興味が湧いた。
山奥に道場を建て、武道の指導をしつつ、武道を追求してゆく。わたくしが日野晃さんを知ったのは5年前のyoutube。過去のテレビ出演の動画などを拝見し、たまげた。
武道家4人で日野さんの足と腕、体の全てを抑え込む。自由になる部分は全くない。
ソコから体の連動とエネルギーのため込み、波を打つ動きで、あっという間に拘束を振り払い、相手にダメージを与えて抜け殻から脱皮したように解き放たれて立っている。息は上がっていない。何事もなかったように。
3人が重なって日野晃さんの前に構える。その先頭の人に軽く突きをすると、どうしたことか、最後尾の人がエネルギーをもろに受け何メートルも飛ばされる。
手品ではない。現実。
どのようにしてこうなるのか? 最近の日野晃さんの動画
柔らの道というと柔道ですが、日野晃さんの武術も体を柔構造として認識し意識し鍛錬し、最も合理的なエネルギーの生み出し方と発散の仕方を追求されています。
そして、現代の科学の最先端技術の粋を集めて打ち上げられるロケット。その構造は柔構造。現在の最先端科学でたどり着いた、柔構造がかなり昔の日本にある。
それが武道であり、三十三間堂であり五重塔。
思考の柔らかさで対処する
古武術とか武術って、現代に日本では全く忘れ去られたようなもの。介護の仕事で古武術の体の使い方が応用されてはいます。
戦後学校教育でも日本古来の体の動きを消し去った。運動会の練習中、行進する時に、足と手が同時に動くことを注意されているのを見たことはないでしょうか?
右足が前であれば左手が前、左足が前であれば右手が前。コレって当たり前ですよね。ところが、運動音痴の同級生がたまにいた。
右手と右足を同時に前に歩く、左手と左足を同時に前にして歩く。
日本では、長い間、難波歩きが当たり前でした。今では注意される歩き方。こちらのほうが体の理に適っている。
例えば、駅の階段を2段づつ上がるとしよう。その時には、右足を前に出したと同時に右手を前に出すほうがしっくりくるし上りやすい。武術の世界は、こうした体のしくみと動きが研究されている。
武道では、「相手の力と衝突しないように」と言われる。西洋的な思考だと、相手と対立・対抗する事が良くある。
日野晃さんは、そこには、「自分の思ったようにする、できる。」という単純な支配欲があると分析する。それができるのは自分よりレベルの低いものや自分より弱い人間に対してしか通用しない。」という。
環境問題は最も大きな、乗り越えることのできない最大の問題だと私は思う。そこを解決するには、不確定で、どのように動くのかわからないものに対して柔軟に、どのようにでも対応する、武術的思考が役立つと思う。
背骨が大事だから胸骨
加齢に伴って体は衰える。筋トレや運動で鍛えるのは西洋的な発想だ。武術では姿勢であったり、体の連動性に注目する。
日野理論では、「体感」。体感とは、運動を作り出したり、運動効率を上げたり、身体を連動させるために重要なこと。
背骨にしなやかな動きを生み出すために、日野理論では胸のある点を意識している。胸骨点。練習を重ねてゆくと、
体感の質、胸骨点の感じ方が変わってくる。最初はなんとなくその辺り、という感覚しかもてないかったのが、
そこという1点になり、その点がどんどんと小さくなり、やがて、針の先ほどの1点が体感できるようになること。そうしたことが質の向上であり、成長ということ。
体感されたポイント=ドットを線としてつなげてゆく。それが「連動」。
日々衰え行く体。そこに武道が入り込むと、これまでとは全く違った世界が広がるハズだ。
甲冑武士と舞妓所作
現代の剣道はかつての剣術の最先端の技ではない。現在の剣道には西洋由来の体の動きが混在している。そもそも竹刀でも木刀でもなく真剣で命がけだった。
甲冑を体に取り付けて、30kgある兜を頭につけていながらも、敵の攻撃に対処して、刀や槍を操作して敵を攻める。
日野晃さんは、甲冑と兜の出で立ちでありながら、いかにして無理なく無駄なく素早く力強く敵に勝つための工夫をすべての武士がしていたわけではなく、ごく一部の武士が工夫したのだろう、とおっしゃります。
そして、京都の舞妓。
だらり帯と振袖に履物。全重量は20kgほど。彼女たちは、日々筋トレをしていたわけではない。行儀に所作。姿勢には骨を稼働させる要素がある、と日野晃さんは、いう。
「簡単に揺るがないように立て」と言われると、多くの人は足の親先に力を込め、重心を下げて踏ん張る。
実際には、そのようではしっかりとは立てていない。
指先の力を抜いて、胸骨を上げる。
この2つだけで、しっかり揺るがない姿勢になる。
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