暴力団と思ったら刑事さんだったお話

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埼玉のとある町で写真店の店員をしていたころのお話し。近くの警察署から事件の写真の現像をしに職員の方が来店されることがありました。トイレで撲殺されている死体の写真を見てしまって一時期トラウマのように現像液の臭いをかぐとその写真が思い出されるという体験があります。

まだフィルムで写真を撮影していた時代。もちろん、警察署内にはフィルムを現像する部署はあるんでしょうけれど、急ぐ場合に最寄りの写真屋で現像とプリントを頼みに来ることがある、のだと思います。

そのお店に配属されて間もないころに、かなり強面の「如何にも、あちらの人」という雰囲気の方がカウンターの前に並ばれていた。

「・・警察」といって受付を済ませて、「え?如何にもの人々を取り締まるホーの方だったのね・・・」と驚いたことがあります。

ドラマに登場する刑事というと善人で正義の味方のような、かっこよい人相の、人気のある俳優が演じています。

刑事ドラマではないけれど、水戸黄門なんかも分類すると、刑事の側の権力のあるお方であり、悪を成敗するんで、人相が良い。やさしいおじいさんという感じがしていますよね。でも、現実はかなり異なる。

刑事さんにも色々なタイプがいて、普通のサラリーマンのような感じでおとなしい、でも、いつも追い詰められたようにして過労気味で来店される方もいました。

なぜ? 正義の味方である立場の取り締まる側の人に暴力団のような雰囲気の刑事さんがいるのか?

暴力団の価値観において一目置かれる必要がある、からなのだと私は推測しています。簡単に言うと、舐められない為に。

でも、人相って内面が反映しているし、顔って脳の表向きのカタチと言われることもある。顔を観ると大体のその人も性格・生い立ち・感情・理性・生活感は伝わってきます。

悪党からの暴言に対抗して、負けじと、上回る激しい上乗せの言葉や暴言を使っているハズな人相だとわかる。身体にも悪いでしょうね。

何が言いたいのか?

というと、悪に対峙するとその悪の次元に自分を持っていかれることがある、という事です。ソレって勿体ないと私は思います。

若い頃には、正しいことって大事で正義を貫く事の何が悪いのか、わからなかった。悪事を働くことは簡単でだれでもすぐできることです。心を弱くする、心が弱いから。

その弱さに惹きつけられていると自分までもが心を弱くする、という事がある。

なので、悪には対抗・反応したいのが良い。

直せるんであれば、躾のようにする、で良いと思うけれど、見込みがないんであれば、ほっておく。ほっておくって、かなり大変です。心が強くないとできませんから。

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